3年前のきょうは、
Facebookにこんなことを書いてました。












きのうはすごくすごく、
たいせつな日になった。






仕事仲間たちと1日中、
あれやこれやと意見を出しあっていて。




先輩方と話していて、
もちろん わたしには
みえていない景色があるのだけど



いまの仕事にであったときと


結婚して
子どもが生まれる前までと


ひとりめの育休してたときと


ふたりめの育休してたときと


育休明けてすぐの昨年度と


いまのわたしと。






ぜんぶ、みえている景色って
ちがったんだなあ。






まえにはわからなかったことが
わかるようになると


まえ にみていた景色はもう、
すっかりみえなくなる。








いっぽ先を行くだけで、
おごりでも何でもなく 
ほんとうにみえなくなるのだ。





なんで あんなことで 
なやんでいたんだろ。


なんで あんなことが 
ゆるせなかったんだろ。


なんで あんなことが?





ぜんぶ、
くすっと笑ってしまえるような。







かつて みた景色が
二度とみえなくなっても、

そのときの景色を
思いだすことはできる。









先輩方と話しているあいだ、

じぶんがこれまでみてきた
いろんな景色を思い浮かべながら






いままでよりも ほんのすこし



想像できたり


ゆるせたり


みとめたり


手放したり


表現したり



できている わたしが いた。







わたしが何を表わしても
受けとめてくれる
先輩方の器の大きさ。





それをほんとうに 
ありがたく受けとって、
のびのびと表現できる。






人の間で生かされている。







いっぽ先を行くひとがいても、
わたしのいっぽ先の景色は
ちがうかもしれない。






だから 
かぎりなく おもしろくて


どこまでいっても せつなくて


あのひとも このひとも
心の底から たいせつ だと思えた。









子どもみたいなわたしの、
あたま じゃなくて 
きもち からくる言葉に




しっかりと力づよく
うなずいてくれた笑顔を忘れない。











↑  ↑  ↑






このたいせつな日のこと、
いまでもすっごくよく覚えてます。





細かいやりとりじゃなく、

まるく包みこまれるような雰囲気が
心地よかった体感を

きのうのことのように思い出します。









3人目の育休を取ることになるとは
そこにいた誰も思ってなかっただろうけど 笑




3人目の育休を経たわたしに
みえる景色が
またひとつ増えたのは


ほんとうにありがたく、
ゆたかだなあと思います。















いまのこの感謝とゆたかさを
しっかりめぐらせていけるように、




決して派手でなくとも
心のある仕事を。




ひとつひとつ、
やっていきたいなと思います。












これから先、
また働いていけるのかなあ?


とか





もう一度仕事するの
すっごく不安だなあ、、、


とか





時々ぼんやりと思うのですが





ごほうびみたいな、

手づくりのメダルを
首にかけてもらったみたいな



そんなこの日のことを思い出すと、




なんとかまた
歩いていけそうな気がしています。












おやすみなさい。
素敵な夢を🌟