2年前のわたしはこんなこと
考えてたんだなあ。










あのときの
あの糸も、この糸も


いまはかけがえのない


うつくしい模様に
ぜんぶぜんぶ、編み込まれているよ。









2年前のわたしに
そう伝えてあげられるいまを、


おかげさまで生きている。









以下、Facebookの過去投稿より。








“こもれび” という ことばが昔から すきだ。



こもれびをうっとり眺めながら
ドライブをしていたら、



「きらきらしてきれーだねえ、かあちゃん」



と、娘も同じく
うっとりしていた午後。




*  *  *  *  *  *  *



よろこびや かなしみ。

うれしさに せつなさ。

不安や 焦り。

さびしさと 怒り。





すべてはまるで、
こもれびのよう。





ずっと光が射していたとしたら
きっとまぶしくて丁寧には みなくって、


心のひだが かさなりあう葉っぱのように
光のきらめきを みせてくれている。












わたしの日々がタペストリーだとしたら、


心のうごきの ひとつずつは、
編みこまれた きらきらの糸のよう。


そう感じた今日。




*  *  *  *  *  *  *




日々、いろんなことがある。







でも その いろんなことは
わたしの日々のすべて ではないし、
わたしのすべて では もっと、ない。


どんなに太く色濃くみえることだって、
わたしたちの日々の
たった1本の糸にすぎない。
 





編んでいる途中にはみえなくても、
もうすこし すすんだ先にみえる
色や模様がきっとあるだろう。





いまをあるいていられるのは、


振り返ればそこに
編んできたたくさんの模様があるから。




それらは無条件にうつくしい。








特別な模様など
目指す必要なんてない。



わたしたちの日々は、
みんながみんな すべて 
特別なものなのだから。









さあ。ぐっすり眠ったら、
明日という日に どんな模様を編もう?