こないだの、
次男くんの1歳お誕生日記念に
思わず載せてみたお産レポ。


細かくマニアックな長文にもかかわらず
たくさん読んでくださって、
感想までくださったりして、
めちゃくちゃうれしいです!♡





どうもありがとうございます。







つわりは毎回、
激しいわたしですが😂





産むとこだけなら
5人ぐらいほしいなあー!


って
半分冗談ですが、
半分本気で思います。







それぐらい、
長男の時から
お産(分娩)はわたしにとって


大変、とか
痛い、とか
を超えて


いや 超えてない。けど 笑


それらも込みで、
すごく愉しいもの。


に、なっちゃいました。






そう思えることは
きっとあたりまえじゃないから、 
そう思えるいまが心からありがたいです。








そして生まれたら
赤ちゃんのお世話はたしかに大変だけど


下の子になればなるほど
親も慣れるし 肩の力も緩むから
大変さがどんどん手放されて、


可愛さだけに集中しちゃって
可愛すぎて大変です😂








生まれてすぐのころ。よく寝てたなあ。










こないだの記事には
どうしても書けなかった気もち。










さみしいんですー。







次男くんが
1歳になるのがさみしくて。







あまりにも
さみしいものだから




さみしい。て書くのが
めちゃくちゃ憚られた。









書いたら、
さみしさを認めることになる。





さみしさと、真正面から
向き合わなくちゃいけない。







なんだか変だけど

そんな気がして、
書けませんでした。








 





そう。
めちゃくちゃさみしいの。






赤ちゃんじゃなくなっていくことが、
かな。






成長していくと
思い通りにいかなくなることが、
かな。
(決して日々思い通りにいってるわけでもないのに笑)
 




 
いまがいちばん可愛い!♡が
長男だって更新されているのに(小2😂)、
次男くんのいまの可愛さが失われてく。
そんな気がするのかな。












1歳になったからって、


チーン!


とスイッチが入ったように
その日から


スタスタ歩き出すわけでもないし
べらべら会話するわけでもないのにね。











いま ここに
次男くんは居て、
(いまはおんぶの背中にいます😆)




触れられる距離に居るのに、
ていうか接してるのに、
わたしはさみしい。












ほんとうは、
とてもおめでたいのだよ。







でも

おめでたいこと。

ってキホン全部、
節目じゃないですか。








だから、

変わりゆく時なんだなあ。

って
実感がすごく湧いてしまうから、
きっとさみしいのだな。












そしていまのわたしは




このさみしさに、
どっぷりと浸かれる余裕があるってこと。






さみしさすら、
しあわせでいとしいのだ。





目の前の現実に追われていたら、
きっとこんなふうに
さみしさには浸かっていられないもの。














もし
いまのわたしたちが


結婚とか
出産とか
誕生日とか


まったく祝わない文化だったら
どんな毎日だろう。






日本には四季があって
日々色合いが変わっていくけれど

もしも季節の変化すらなかったら、
どんな暮らしだろう。







ひとつとして
同じときはないのに、

漫然と日々が
過ぎてゆくだけだとしたら。













ゆるやかに

だけど 刻々と
移りゆく時の流れに



たしかなクサビを打ちこむ。






それが節目であり、
祝うということ、
なのかもしれない。








祝うではないけれど
死ぬことも、
葬儀もおなじだ。







それがあることで、
節目と節目のあいだの時間が
くっきりと色濃く、
情緒豊かに感じられる。












心から
さみしくて、





心から
いとしい。






どちらもおなじだけ、
尊いのだなあ。











きのうとはちがう今日に。


今日とはまたちがう明日に。


生まれることに。


育ちゆくことに。


変わりゆくことに。


死にゆくことに。



そこに流れる いま に。





心からの、
ありがとう♡









さみしさもいとしさも
ごちゃまぜの、


心いっぱいの


おめでとう♡♡♡