良い母、
良い娘、
良い人。


じぶんが作りだしたそんな役割は
とっくに立ち行かなくなって、
その時々に手放しつづけてきたけれど



“良い妻” 役割だけは、
果たしたいと思ってしまう時がある。



なんでだろう。





そうでないと
夫に嫌われる、と思っている?


そうでないと
夫婦ラブラブでいられない、と思っている?


そもそも、
夫婦はラブラブ、 
でいないといけないんだったっけ?


夫が嫌ってるのは、
わたしが不機嫌でいることじゃなかった?






良い妻も、
悪い妻も、
なにもない。




―わたしがいま、
どうしたいか?


―どうしたら、
たいせつなわたし自身と、
このたいせつな人たちと、
心地よく過ごせるか?



それだけ。




こないだのおやつに、
夫のためにアイスコーヒー淹れて
カナダ土産のビスケットを出した。


夫のために
急須で丁寧にお茶を淹れたり、
コーヒーをドリップしたりする、
その作業と時間がすき。



一緒にのむ時も、
夫だけがのむ時でも。



瞑想みたいな時間。






尽くす。
尽くされる。


愛する。
愛される。




どっちでもいい。



尽くしたいときは尽くし、
愛したいときは愛したら、
それでいい。




何もかもが
廻りまわって、

けっきょく、愛だから。








―ほんとは、どうしたい?
―わたしは、どうしたい?





ほんと、それだけ。