日曜日。
ムスメと夫が釣りに出かけて
ムスコはめずらしくついて行かず、
わたしとふたり 留守番をしてました。
その留守番中、
ひさびさの大ゲンカ。
ムスコはいつもの言動
(工作しててうまくいかず、
イライラ、グズグズ)
なのに
その姿にいつも以上に反応して
スルーすることができず、
コントロールしようとしてしまったわたし。
それは、
わたしの体調だったり気分のせいで。
ムスコがどうこう、
という問題ではないんですよね。
わたしは
じぶんが悪かった。
と素直に思ったので、
涙目になりながらムスコに謝りました。
ムスコは
くるまってた布団から出てきて、
「こっちこそ、ごめんなさい。」
と、とびきり大人の対応でした。笑
なんだかお互いにそれでスッキリして、
午後からはいつも以上に
ゴキゲンでたのしく過ごせてしまった♡
わたしの不完全燃焼な燃えカスに、
ムスコが着火して発散させてくれたような。
くすぶった怒りを、
わざわざあぶり出してくれたような。
そんな気がしました。
完全に大人都合の
じぶん勝手な考え方ですが、
そんなムスコに改めて
ごめんね。と、ありがとう。を感じました。
それで、
この記事↓を書きたくなった。
上の記事に書いた、この部分↓
夫の不完全さをみるたび、
その不完全さがなければ
わたしのだいすきな夫の部分も
きっとなくなってしまうのだろう。
と思う。
不完全さがかたちづくる
その人こそが、完璧なのだ。
不完全さが言いようもなくうつくしく、
不完全さがどうしようもなくいとおしい。
この想いはずっと、
わたしのなかにあって。
結婚当初からかな。
きっかけやタイミングは忘れたけど、
とにかくかなり長いあいだ、
そう思いつづけている。
夫は手先はとても器用だけど、
人間関係は決して器用じゃない。
人見知りだし
口数も多くないし、
おべんちゃらは言わない。
そして、
わたしは人見知りのひとが
このうえなくすき♡
わたし自身が好奇心旺盛で
人見知りできないタチだから、
生態が知りたくてたまらなくなるのだ。
しばらく前、
つわりが落ち着きはじめた頃だったか、
母が、わが夫に対する不満を
わたしに打ち明けてきたことがあった。
「もう少し、世間話とかしてもいいのに。」
と。
聞けば、ずいぶん前から
不満に思っていたそう。
この時の母は
ずいぶん不満を溜め込んで抱えていた時期で、
「気楽に話せる間柄になりたい」
「じぶんの思いが伝わらなくてさびしい」
が、根っこにあったんだと思う。
でも、ずいぶんとこじらせてたから、
「奥さん(わたしのことね)に
優しくできるんなら、その分
私たちに気を遣ってもらってもいいのに。」
とまで、言いはじめて。
正直、
ふざけんな。
と、奥さんは思いました。
言わなかったけどね。笑
母の寂しさには共感できたけど、
この言葉には怒りをおぼえました。
そして
そんな怒りを
じぶんで受けとめ、
みとめることができた。
少なくとも、
母から夫に何も伝えないのに、
夫には変わってほしい。
は、ありえない。
それに
上に書いたように、
「義両親にうまく気を遣える夫」
なんて目指してしまったら、
もはや夫は夫ではなくなってしまうのだ。
わたしは、
夫には夫のままで居てほしい。
身近なうちの両親から、
いい人と思われなくてもいい。
万人に好かれなくっていい。
夫の凸凹を愛してる。
夫が変わるのは、
夫自身がそうすることが必要だと
思った時でいいし、
逆に、そう思えた時でなければ、
人なんて変われないのだ。
わたしは
母の寂しさから来る愚痴に耳を傾けつつ、
周りをコントロールしようとする部分は
ハイハイ、と聞き流した。
愚痴ってしまう母が悪いわけでもない。
それでいい。
でも、
心に固く固く誓いを立てる。
夫が夫のままであること
そのままの不完全な夫を
わたしが心底愛していることに対して、
誰にも文句は言わせない。