繭のなかで
つつまれているような


あったかな胎内で
まもられているような


くつろぎの日々。









いま妊娠しているのは
わたしなのに、


わたし自身が生まれるまえのよう。
そんなしずけさに満ちた日々。







―もうすぐ羽が生えて
生まれて飛び立つのは、
わたしじゃないのかな。


そんな錯覚におちいる。








この子を産んだら、きっと
あらたなわたしもまた、生まれるのだろう。







わたし自身は
繭の内にも外にも存在していて、




ちいさなおなかの宇宙と
大いなる外側の宇宙とは
絶えずつながっていることを
かんじつづけている。








この個を産み 育みながら、
わたしという個もまた 生まれ 育まれていく。



ひたすらにつづいてきて、
またどこまでもつづいていく
生命の営み。










妊娠出産育児をとおして
いつもつよく感じることは、


―わたしは動物である。


ということ。






文字にしてみると

あまりにも陳腐で
あたりまえなのだけど






妊娠出産育児のあいだは
あたまではなく からだで、


―わたしは動物である。


を思いだせる。




そのことが、時に
かぎりなく不自由でもあるけれど
はてしなく面白くもあって。









わたしの白い血を
わたしから生まれた子どもが
ごく、ごく とのんでいるとき。




わたしはそこに、
永遠をみつける。






そこがたとえ砂漠で
ふたりきりであったとしても、
なにも頼るものがなくっても。



ただそれだけで、
完全なのだ。










いま、に話を戻すと


これほどまでに両親に
まもられながら わたしが暮らすのは、

―きっと、
人生でこれが最後なのだろうな。

と、確信している。






ここからは、


わたしが
わたしたちが

まもり、育んでいく番。
渡して、つないでいく番。





繭の内と外を、
幾度も行ったり来たりしながら。





与えられた永遠のいのちを、
まだ見ぬ向こうへ つないでいく旅。