またまた2年前の、
Facebookへのつぶやき。

最後に、いまのわたしの心境を追記してます♡


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人生には遊びが必要だ。


枠のなかに居る人は
枠が壊れたとき
「想定外でした。」って言うんだ。


枠のなかに居られるうちは
真面目に生きて困ることはない。
信じていた枠が壊れたとき、
遊びの力が生きてくる。


枠から外れたって、
なんとか生きている。
枠なんてなくたって、
たのしく生きてきた。


そんな遊びという名の経験値が、
どんなときも
わたしたちに力を与えてくれる。


前は地震におびえていたわたしが
キャンプのテント泊もたのしいと知って、
家が壊れることへの恐怖がなくなった。


最初に入った会社を辞めて
しばらく無職で遊んでいたとき、 
なあんだ。
どうやっても生きていけるのか。
って、生きることがとても軽くなった。


わたしのいちばんの秘密を話しても、
大切な人たちはいつもそばに居てくれた。




人生をもっと遊ぼう。
もっと軽やかに、もっと鮮やかに。

たとえば料理がもう決まってるとしたら、
スパイスで、
ハーブで遊ぼう。




写真は新しいスカート。

わたしの日常にも、スパイスを。






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2年前のわたしは
こう締めくくってるのですが

このころのわたしは とてもゆれていて、
実は夫のほかに気になる人がいた時期でした。




そう、
気になる人。




だけど、
すきとか 大切とかではまったくなくて、
正直とまどっていました。


相手のことが気になればなるほど、
わたしは夫のことがだいすきで、大切なんだ、
といっそうつよく感じました。


こころゆさぶられる仕事のたびに、
こころを最大限フラットに保とうとしていた。
そんなわたしの、バランスをとるため。

すべてはそのための、
こころゆさぶる体験だったのだろうな。
と、いまは思っています。



気になっていた相手は、
カバラ数秘の3つの数字の並びが
すべてわたしとおなじ。



そのことに気づいたときには、
思わず叫び、笑ってしまいました。笑



わたしは、
どこまでもわたしを確認したくって
どこまでもわたしを洗い出したくって
この相手に出会ったのだなあ、と。


なんて
自己中なんだろう。


とも、思いましたが笑
そんなじぶんを責めずに笑えました。



つらいことも たのしいことも
その時期にはいろいろありましたが、
ほんとうにゆたかな体験を与えてもらった
と思っています。



すべては、
わたし自身に還るため。

ほんとうに大切にしたいものを
はっきりと思い出すため。



そして、
ほんとうに還る場所

―それは物理的空間じゃなくて、
じぶんのまんなか、という意味ですが―

にまっすぐ帰り着くため。



そのための、
道草だったのかなあ。
と、いま そよ風のなかで振り返っています。