昔から一人称には困り続けている
中学くらいから目上の方には「私」と言っているけれど、友達や家族と話す時の一人称に困っている
小1のときまでは「〇ーちゃん」って言っていた(例えば「なほ」という人だったら「なーちゃん」みたいな)
小学校に入るとその呼び方は恥ずかしいものなんだと気付いた
そうなると自分をなんて呼べばいいかわからなかった
周りの女子はだいたい「うち」か名前だった気がする
自分も「うち」って言うべきなのか?と思ったが、恥ずかしいとかではなく、なんだかしっくりこない、「うち」は自分には合わない、気持ち悪いと思った
「わたし」と言っている子はいなくて、「わたし」は作文で使う言葉みたいに認識していたし、なにを使えばいいかわからないと思ったことを覚えている
記憶上、小3くらいでは「こっち」と言うようになった
「こっち」とは!?と思う方が多いと思いますが、それしか自分には思いつきませんでした
なるべく一人称を使わないようにしていたけれど、友達と話していると雰囲気的に言わなくてはいけない場面とかもあったので小学生の時は「こっち」を使い続けていた
友達から「こっちってどっち?w こっちって何?」と言われたこともありましたが、「こっちはこっちだよー」みたいに茶化して流していたような気がする
周りから「(着眼点や言う事が)なんか変だね」と言われることも多かったので、そういう変な子として見られていたのもあって、それでいじられることもほとんど無かったように思う
中高ではほとんど一人称を使わずに過ごしていた
使うとなったら「自分」だった気がする
そして専門学校に入ったばかりの頃は自分の事を「自分」というのは恥ずかしいことだ、というのをネットで見て、それを鵜呑みにして「私」を使おうと思ったのですが、どうも気持ちが悪い
結局、「自分」に落ち着いた
今は「自分」と「わい」
自分でも、いつ、どこから「わい」という言葉がやってきたのかは謎
でも「わい」は意外にもしっくりきているような気がする(母と話す時くらいしか使っていませんが・・・)
ここ最近みた夢では「僕」と何回も言っていた
状況もなにもわからない、むしろ誰もいなかったような、何もない異空間のようなところで、自分を洗脳させるかのように「僕」と何回も何回も言っていた
夢は記憶の整理だと聞いたことがあるけど、あの夢はなんだったのだろうか
たまに心の叫びのような夢をみるのだけど、それは本当に心の叫びなのだろうか
それも謎だ
周りの反応とか、なにも気にせずに自分の1番しっくりくる一人称を使えるようになりたい