「こいつが悪いねん! こいつがニラみよるからこいつのせいや!」
「もうやめたげて。この子かて悪気があってのことやないんやから!」
「ニラんどるやないか!」
『彼』は分厚い掌で僕を張った。力いっぱいでない程度には抑制されていたが、気の済むまで僕を何度も張る彼は正気を失っていた。彼はひいひぃと息を切らしていた。
「ほんま、生意気なヤツや!」
「かんにんやさかい、もう許したげて!」
僕には許すという意味が分からなかった。僕が何の悪を告白せねばならないのだろう。懺悔室で許しを請うのはむしろ彼の方であり、知恵の回る僕が許される理屈は分からなかった。僕の得意な七並べに誘われて彼に少し意地悪な手を使っただけだった。ゲームの途中で僕は彼のイライラが昂じるのに気づかず、自分の負けが確定的になると彼はざーっとカードをかき混ぜた。そんな幼稚な振る舞いに対して、僕は非難の感情よりむしろ驚きの目で彼を見た。それが彼には反抗的と映ったのだろう。つい手が出てしまい、あとは感情を抑えられないケダモノに先祖返りしてしまった。
「おとうさん、もうやめたげて!」
「親に向かってその目はなんや!」
彼の平手が僕の頬を何往復かする間に僕の意識は遠のいた。



「おとうさんは悪い人やないんやで。小さいときから独りやったから子供の可愛がり方がようわからんねん。」
『彼女』は優しかったが、彼女の思いは僕よりも彼に向けられていた。
「小さい子にどう接したらええか分からんよって、ふとん蒸しとかしはるねん。」
僕にはそれは何の言い訳にもならなかった。明るかった世界が急に真っ暗になる恐怖は彼女には分からなかっただろう。僕は闇の中で呼吸が止まりそうになりながら手足をバタつかせたが、動くことさえままならずひとすじの光も見えなかった。大人になった今でも鍾乳洞やらビジネスホテルの狭い部屋に入るのはためらわれるし、大丈夫と思えるときでも何らかのネガティブトリガーが働くと急にパニックに陥る。物理的な臓器としての僕の脳みそには何本もの切り傷がついていた。典型的なPTSDだった。





彼女とて常に聖母であり続けたわけでなく、何かの拍子に夜叉に変わる点は彼と同じ種族だった。近所に住む友達のおかあさんにおやつを出され、それを喜んで食べただけで彼女は本性を剥き出しにした。
「もらいもんする子は要らん! 物乞いさせるほどうちは貧乏か! 返してきぃよし!」
彼女が心の奥底に持つ武家の矜持がそうさせることはずっと後で知るのだが、小学生の僕にはなぜ尻を何回も何回も叩かれるのか合点が行かなかった。彼女は同級生より成績優秀な美人であるにも関わらず、友人たちが一人また一人と「ええとこさん」に嫁ぐのを見るにつけ、あからさまに悔しさを滲ませた。自分の番が来た結婚を後悔するほどではなかったが、「もう少しましな生活ができるはずだったのに」くらいの不満を抱えていた。だから我が子が他人からたとえ100円の菓子でももらおうものなら烈火のごとく怒り出すのだった。自分の運の悪さを認めたくなかったのだろう。ストリートチルドレンが通りを往来する善男善女に小銭をもらうさまを自分の息子に重ね合わせて、金銭的なコンプレックスからカッとなるのだった。



彼女の外見は平均以上だと子供のころの僕は密かに自慢だったが、反対に彼の身なりは級友の前で僕に恥ずかしい思いをさせた。顔かたちの美醜ではない。僕が家に忘れ物をしたか何かで彼は一度、授業と授業の合間に教室を訪ねて来たことがあった。忘れ物を届けてもらって感謝するよりも、彼のみすぼらしいいかにも安そうな服装に僕の耳は真っ赤になった。通っていた小学校はいわゆる成功者の住む校区にあり、そのご子息は越境入学をしていた僕とは住む世界が違った。第一印象の見かけで入れるかどうかの足切りをする世界。彼が帰った後でクラスメートが尋ねた。
「あの人、誰? 男衆(おとこし)さんか庭師さんやよね?」
「うん、まあ…」
圧倒的な敗北感の中で僕はうつむいてそう言うしかなかった。そのうち、級友は誰かの母親に引率されて大阪のデパートに行ったり、示し合わせて同じ塾やスイミングスクールに通ったりという輪から僕は外れるようになった。僕の貧乏はいつしか級友の知るところとなり、僕に対する罪作りな優しさからお金のかかるつき合いに僕は誘われなくなった。




自宅にある椅子やソファーの数を数えて来なさいとか、蛍光灯と白熱灯を設置している家の場所を調べてきなさいとかの心無い宿題には惨めで恥ずかしい思いをした。その手の宿題は家庭のハードウェアをクラスでさらすものにほかならず、生活科は文字通り各生徒の生活をあぶり出すものだった。家庭訪問も嫌で嫌でしょうがなかった。級友の家は戸建てであればそれなりの門があり、マンションならばエレベーターの前で教師を待つようなものだったろうが、公営住宅という名のコンクリート長屋では、干してあった彼女のパンツとブラを教師が暖簾のようにひょいと上げて玄関ともお勝手とも区別できない入り口から入って来るのだった。応接間というものが存在することは級友の家に行って初めて知った。フカフカした長椅子が、何をするにも不便な高さのテーブルを取り囲んでいた。
「この部屋は誰の部屋なん?」
僕の質問の意味は家族の数よりも部屋の数が多い級友には通じなかった。僕は無邪気で怖いもの知らずの低学年からコンプレックスの塊でしかない高学年に進んだ。



中学校ではもっと物が良く見えるようになることが残酷だった。彼が暴力的であることに違いはなかったし、彼女が夜叉に豹変することも変わりなかった。家庭はハードウェアもソフトウェアも小学校のままだった。ただ、中学受験で全県一区の地域一の学校に進んだため、級友に僕の「正体」が知られることはなくなった。彼の趣味は相変わらずパチンコと賭け麻雀で、彼女から小銭をくすねる毎日だった。家計は彼女に任せていたが、彼は何らかの物を買って来ては彼女に実際よりも高い金額を請求し、差額を遊ぶ金にしていた。そんなからくりは中学生でも気がつきそうなものだが、彼女は気づくことなく、あるいは騙されている振りをしていたのか、彼はたびたび遅くまで麻雀から帰って来なかった。彼女の父親が亡くなった時に彼が麻雀に興じていたことは何の驚きもなかったが、実家に駆け付けようとかけた彼女の急な電話に彼は「もう半荘(はんちゃん)だけ」と言ってなかなか帰って来なかった。






高校に進んだ僕は生まれ落ちた地獄から這い出すために勉強し、名の通った大学に合格することができた。家から大学までは通えない距離ではなかったが、バスと電車を乗り継ぐと片道2時間近くかかり、僕は入学2ヶ月目にして計画を実行に移した。大学の近くに4畳半一間の古いアパートを見つけ、先立つものはアルバイトで工面した。引っ越しにはひと悶着あったが計画はまんまと成功した。自転車があとあと必要になることを見越して家からアパートまでの50km以上を一晩かけて走り切った。巣立ちが僕の勝手だからという理由でなく、彼らは金銭的に何の援助もしてくれなかった。僕が大学の知り合いを引き合いにして、
「学校の友達は授業料も生活費も親に出してもらってるんやて。あんなお坊ちゃんやったら良かったのに…」
とこぼすと、
「何を甘いこと言うてんねん。高校出たら稼いで親に仕送りするんが普通や。それもせんでええのやから十分お坊ちゃんや!」
とバッサリ斬られた。もともとそんなに期待はしてなかったから、アルバイトの掛け持ちで授業料と生活費を捻出するのはさして苦ではなかった。それよりも自分の度量で動ける自由を得たことが嬉しかった。ただ、実家から足は遠のいた。



10年もしないうちにそうなるとは思わなかった。ほとんど会うことなく過ごし、彼は亡くなった。脳梗塞で一時は意識を取り戻したものの、彼は60代の若さで元いた世界に戻って行った。彼女が泣くのは自然だったが、不覚にも僕も涙を落とした。しかし、僕の涙の意味は彼女のとはまったく違っていたと思う。僕は彼の思い出を懐かしんで感傷に耽っていたわけではない。僕を苦しめていた彼がこうも簡単に逝く弱い存在であり、そんな弱い彼に虚勢を張っていた自分がさらに弱い存在に思えたのだった。悲しみの涙でなく、自分の惨めさを痛感した涙だった。




(続く)