年金にからんだ、いわゆる「二千万円問題」で国会が揺れている。

政府・与党・官僚は問題の火消しに躍起になっている一方、野党・新聞・雑誌はここぞとばかり問題の追及に忙しい。肝心の国民はというと、
「政治には関わらない方がハッピーよ♪(喜)」
「年金がもらえないって、どういうこと!(怒)」
「昔は遺族年金とか恩給とかあったのに…。(哀)」
「ま、何とかなるんでしょう。きっと神風が吹くさw(楽)」
と、問題にそこそこ感情移入するけど、どこか他人事。

「じゃあ、そういうあんたはどうなのさ?」
と聞かれるまでもなく、私は、
「んー、何だか難しくって、解説されても分からないし…。」
と腰が引けている。問題を理解するために書籍・雑誌・新聞を買ったりする気はない。そういう「無責任男」が、「素人考え」と「不十分な理解」と「大雑把な印象」で書いているのがこの記事である。そこのところ肝に銘じて読んで頂きたい。←エラソー






そもそも、年金がらみの「二千万円問題」って何なのか。定年退職して無職になった1組の夫婦から話は始まる。年齢は夫が65歳、妻が60歳。もらえる年金は月に20万円だという。私は彼らがどれだけ年金を掛けていたか知らないが、何らかの意味で平均的なケースらしい。一方、私は彼らの生活スタイルがどのようなものか知らないが、平均的なケースとして支出は月に25.5万円らしい。そうすると、彼らの家計簿を見せてもらったわけではないが、とにかく月に5.5万円の赤字が出ると自信をもって言える。←ダレニデモ、イエル

私は神でも悪魔でもないのだが、彼らの寿命を知っていて、夫は95歳、妻は90歳でこと切れる。つまり、「人生100歳時代」を反映して、彼らがこれからちょうど30年間の夫婦生活を送ることを、生前、大して親しくもなかった私が知っている。さて、ここで問題。彼らは年金以外にいくらお金が必要か? 私は彼らのタンス預金がどこにあるのか知らないが、その額だけは知っている。月に5.5万円だから1年間で5.5万円×12の66万円。それを30年間続けるので66万円×30で1,980万円。つまり、死がふたりを分かつまで彼らは年金だけでは生活できず、それ以外に約2,000万円のタンス預金が必要だったのだと、二人の葬儀の真っ最中に知ることになる。←アーメン

「二千万円」という言葉は葬儀の参列者の間でさざ波のように伝わり、善きサマリア人は、
「彼らは2,000万円を用意できたために救われた」
と二人をたたえる一方、愚かな羊飼いの連中は、
「私らは2,000万円を用意できないが、それは早く死ねということか」
と気色ばんだ。これが世に言う「二千万円問題」である。←ナンカ、チガウカー?

「二千万円問題」は、金融庁の官僚が政府に報告したものだが、政府は「自分たちの方針と違う」として報告書を受け取っていない。また、野党は「二千万円問題」は年金制度の不備を意味し、10年以上前に設計された「年金100年安心プラン」が「人生100歳時代」と矛盾するものとして政府・与党を攻撃している。






問題が明らかになった後、市井の人々が言うことは、
「老後のために2,000万円用意しろなんて聞いてないよー!」
「年金制度改革とかいうのをやったんじゃなかったっけ?!」
に尽きる。

ニュース番組などをいろいろと聞いて分かったことは、次の悲報である。
「『年金100年安心プラン』とは、国民の寿命が100歳になるまでサポートするということではなく、年金制度そのものが100年間、破綻しないように国民への年金支給を抑えるなどする」
ということである。そもそもシステムの根底からがっかりである。

「二千万円問題」に関しては、評者ごとにさまざまな意見が飛び出しており、素人である私には誰が正しいことを言っているのか、よく分からない。政府・与党寄りのシンクタンクや大学の研究者は「二千万円問題」などそもそも存在しないと言い張る。一方、野党には経済を語るに十分な碩学がおらず、議論はいつもの言いっぱなしで終わる。経済学に疎い私は、
「頭の良い人は、なぜいつも強きを助け、弱きをくじくのだろう」
と歯噛みする。

「二千万円問題」の議論が誤っているという識者は、具体的にはモデル夫婦が「統計の嘘」を含んでいるという。二人の支出を分布の「平均値」を使って月25.5万円としているが、実際には分布は大金持ちの支出である月200万円(年2,400万円)、月500万円(年6,000万円)、月1,000万円(年1.2億円)などを含んでいる。そのため、「平均値」を上げてしまっている。したがって、正しい支出は月25.5万円でなくて月20万円などであり、その場合、年金収入で支出を完全にカバーできる。よって、「二千万円問題」など存在しないというのである。

このように専門家によって「説明」されてしまうと(往々にして専門用語を交えながら)、素人はそんなもんかなと思ってしまう。「だがしかし」と素人の私は言う。支出だけでなく、年金収入も金持ちに引っ張られているんじゃないかと。もちろん支出が青天井なのに対し、収入(年金支給額)はある程度の額で高止まりするだろうから、実際の収入の平均値は20万円でなくて17万円くらいかも知れない。この結果、やはり月々の赤字は生まれ、最終的に老後のために1,000万円を用意することを強いられる。「二千万円問題」が「一千万円問題」になるだけである。






それにしても年金問題に対する国民の関心は低すぎるのではないか。野党の議員が怒りをあらわに政府・与党に詰め寄っても、いかんせん「多勢に無勢」である。政府・与党に表立って反旗を翻そうという国民が見受けられない。特に若い人々は完全に沈黙している。数年前、憲法問題や安全保障問題で学生運動が盛り上がったのとは対照的である。経済学を真摯に学んでいる学生はいないのだろうか。したり顔の識者に不戦敗のままなのだろうか。

現在の年金制度では、自分が払った年金が目減りして還って来るが、その度合いは若い人ほど顕著である。ある試算によると、1960年生まれの人は納めた金額と同レベルの年金が支給されるが、1970年生まれ、1980年生まれ…と若くなるにつれて目減りの割合が大きい。合計1,000万円を納めても老後に還ってくるのは合計800万円、600万円…だったりする(逆に現在、年金を受けている人は1,000万円納めて1,500万円支給されていたりする)。若い人は年金を納めるよりも自分で積み立て預金をする方が得である場合が多いのだ。


若者はいつまで大人しい羊でいるのだろうか。





※追記(2019/6/19 21:30)


問題の本質が見えてきた。結局、多くの国民は政治を信用していないから、
「年金ったって、どうせ満足にもらえないんでしょ。国に盗られた年金掛け金より少ない支給額なんでしょ。自分で積み立てた方がマシなんだけど、年金払うのは義務だっていうから払ってるけど。」
というのが本音であり、これはまったく正しい。上の記事に書いたように、1960年生まれまでは掛け金より支給額の方が多くなる可能性が高いが(早死にすると支給額は少なくなる)、それより若い人は掛け金より支給額が少なくなることがほぼ決定済みであった(超長寿だと支給額は多くなる)。

寿命という不確かな要素があるにせよ、今の現役世代の多くは自分で積み立てた方が得になる。つまり、初めから年金だけで老後を暮らせるとは思っていなかったのだ。ここにきて、この事実(年金では不足)を改めて政治側から示されたため、隠していた怒りが爆発したのである。ということで、「年金とはそういうものだ」と割り切らないとしょうがない。そして、
「年金になど頼らず、自分で貯め込むなり何なりと自衛しなければならない。」
という事実を確認することになったのである。

それにしても現代の若者世代(20代など)は冷めきっているのか、思いっきり搾取されてかわいそうである。本当に、

若者はいつまで大人しい羊でいるのだろうか。