ノーベル賞授賞式が明後日、月曜日深夜に行われる。

正確には、2018/12/11(火)0:30 amなのだが、12/10(月)24:30 pmと言った方が分かりやすいだろう。

今年は 本庶 佑(ほんじょ たすく)氏の生理学・医学賞受賞が決まっているので、それとなく気になっている読者諸賢も多いだろう。氏の受賞理由を分かりやすく(はしょって)言えば、
「免疫療法によるがん治療薬オプジーボの開発への貢献」
である。


本庶佑





私は何回か、このブログでノーベル賞受賞者予想記事を書いてきた。今年は書かなかったが、昨年、2017年の記事として、本庶氏とジェームズ・アリソン氏の共同受賞を予想し、的中させた。←イツモノ、ジマンバナシ、カナ?

いや、本庶氏の受賞は毎年、巷間で注目されており、氏の自宅に新聞記者が大挙して押しかけるのが秋の風物詩(?)となっていた(受賞を逃した場合、ニュースにならないだけ)。私は2016年の記事でも本庶氏の受賞に言及している。毎年毎年、名前を挙げていればいつかは当たる。本庶氏はいつかは受賞する。そういう人だったのである。←ジマンシナイ、ケンキョナ、ワタクシ

この「いつかは受賞する」系の話として、2011年の記事でiPS細胞の山中伸弥氏の受賞(2012年)を一年早く予想していた。記事のタイトルは、
「iPS細胞、ノーベル賞は逃したけれど ~『世にも奇妙な物語』より~」
であり、興味のある方は是非読んで頂きたい。 韓国 中国の研究者がゲノム編集によって「人間を作り」、生命倫理が問われている昨今であるから、問題の本質的な理解につながるかと思う。←ウエカラメセンノ、センデン、デス


培養

「とある魔術の禁書目録Ⅱ」より



さて、自慢話はこれくらいにして(←ヤッパリ、ジマン、シテタンダ)、今回の本庶氏のノーベル賞受賞に関連して、あまり報道されていないニュースを読者にお届けしたい。

本庶氏は近年の基礎研究費が著しく切り詰められている現実に警鐘を鳴らしている。現在の研究交付金は、国公立大学の教員(教授、准教授、専任講師、助教)の場合、一人当たり年間、何と50万円程度だという。研究室の電気水道光熱費を払い、諸々の消耗品を購入すれば、あっという間に研究費は底をつく。

高価な実験装置があったとしても、その維持管理費は払えないからずっと電源オフ。学会・研究会・勉強会への参加費は自腹決定(ぐるナイかっ)。パソコンや文房具は教員個人に資するものでもあるから、個人で買って自宅から研究室に持ち込むという文字通りの手弁当状態。こんな状況ではまともな研究はできない。

研究を続けられている研究者は、財団などから競争的資金を集めたり、民間企業との産学共同研究の形を取って寄付をもらったりしている。「貧すれば鈍する」で、今に自衛隊や軍事産業との軍学共同研究が始まってもおかしくない。官(政府)からの科学研究費補助金(科研費)が獲得できているのは研究者の約3割であり、しかもまったく足りない金額しか手にすることが出来ない。

研究費で意外に大きなウェイトを占めるのは人件費である(研究費で研究員を雇う場合)。つまり、大学の正規教員(教授~助教)以外の研究者は非正規雇用であり、研究以前の問題として人間らしい生活ができない人が多く存在する。これこそが、低賃金の(しばしば無賃金の)研究という仕事とともにアルバイトをしてもなお貧しい「高学歴ワーキングプア」であり、働くことなく引きこもる(社会から見放されている)「学歴難民」であり、どこにも行き場がなくなって失踪・自殺する「行方不明博士」である。

あ、「行方不明博士」というのは私が作った造語であり、始め「富士の樹海博士」「大阪南港腐乱博士」「東尋坊ダイビング博士」と名付けようとしたのだが、心が痛くなって穏当なところに落ち着けた新語である。←ワラエナイヨー


高学歴ワーキングプア



この問題はノーベル賞を受賞して、何とか政府に物申せる立場になった研究者が、繰り返し指摘してきたことである。たとえば、iPS細胞の山中伸弥氏曰く、
「現在の若手研究員の給料をマラソン寄付金でまかなうためには、私は年間100回以上マラソンに出場しないといけません。」

2016年に生理学・医学賞を受賞した大隅良典氏の主張は過去の記事に書いた通りであり、再掲すると、
「『毎年のようにノーベル賞が日本から出ている』などと浮かれている場合ではない。すぐに役立つことが見込まれている研究にのみ研究助成金が交付され、私のような20年かかる基礎研究は続けにくくなっている。この傾向が続けば将来の日本のノーベル賞はない。若い人はこれでは研究は続けられない。」

大隅氏はノーベル賞の賞金1億円を東工大に寄付し、大隅基礎科学創成財団を立ち上げ、研究費助成を行なっている。一般の新しい生理現象の研究に最大8件上限1,200万円、酵母の研究に最大3件上限500万円(合計最大1億1,100万円)。しかし、大隅氏の志に水を差すようで失礼だが、1億円では問題の解決には程遠い。私としては、氏の奮闘が「蟷螂の斧」でなく、現在の科学技術行政を突き崩す「蟻の一穴」にならんことを願うばかりである。





そして、今年の、
本庶佑氏
である。氏がノーベル賞受賞決定の1週間後に語ったところによると、本庶基金を設立して基礎研究を応援するとのこと。ここまでは大隅氏と同じだが、基金の規模が違う。なんと、
1,000億円
規模の基金にするというのだ。氏には免疫癌治療薬オプジーボの特許収入がある。この基金の成功を祈りたい。

余談だが、1,000億円と言われてもピンと来ないが、1万円札が1,000万枚である。と言われてもやっぱりピンと来ない。1万円札を地面に敷き詰めたならば、1,000億円の面積は約1,200 平方kmであり、ほぼ沖縄本島の面積に匹敵する。←ヤッパリ、ワカリニクイカ?






それにしても、日本における科学技術研究への助成金は貧弱極まりない……ということはなかったりする。下のグラフに示したように、日本政府の科学技術予算は対GDP比でも総額でも先進諸国に遜色ないものとなっている。



それなのに、なぜ国公立大教員の研究費が平均年間50万円などという悲喜劇が起きているのか。要は、1990年代にビジネス界で流行った、
「選択と集中」
が、アカデミアでも蔓延しているのだ。つまり、政府は有望と見なした一部の大型プロジェクトを「選択」し、研究費をそこに「集中」させている。このことの弊害が年間50万円云々に現れているのである。この件に関しては、稿を改めて考えて行きたい。



政府の金と言っても、結局は国民の血税である。科学技術予算として、広く薄くバラまくのが良いのか、それとも一部に資金を集めるのがよいのか、さらには、そもそも科学技術予算は増やすべきなのか、減らして福祉や安全に回すべきなのか、国民の決断が求められている。←オッ、カッコヨク、キマッタゼ