p1/20
映画「ローマの休日」が好きである。

ローマの休日00


トートツに何を言い出したんだといぶかるアナタ、そこに座ってまあお聞きなさい。今さらストーリーを紹介してもネタバレのそしりは受けないだろう。1953年の作品だから著作権は切れてる。

ストーリーはこうである。


王室外交としてヨーロッパ歴訪中のアン王女(オードリー・ヘップバーン)はローマ滞在の王宮で、非人間的なスケジュールにキレる。鎮静剤を打たれながらも王宮をまんまと抜け出す。

ローマの休日01

鎮静剤が効いて通りで寝ていた王女は、グレゴリー・ペック演じるアメリカの新聞記者にお持ち帰り、いやその、保護される。薬に酔ったアン王女が侍従に命じるように「脱ぐの手伝って下さる?」と言ってもエロを期待してはいけない。

ローマの休日02

翌朝、何事もなく(うーん、残念)いったん別れるが、新聞記者の下心(エロでなく特ダネ取材)にダマされて、アン王女は一日だけの人間性発現を決め込む。
「丸一日、好きなこと、ぜーんぶしたいですことよ。」

ローマの休日03

p2/20
初めてのカフェ。
「(たっかいシャンパン、頼むなよなー。ま、これも仕事、仕事。)」


ローマの休日04

初めてのスクーター。天真爛漫なアン王女は新聞記者にナイスバディー密着。
「(惚れてまうやろー!)」

ローマの休日05

「真実の口」は嘘をつく者の手を噛みちぎるという。身分を偽る王女はびくびくしながらもセーフ。「今度はあなたの番よ」の言葉に新聞記者は噛みちぎられた振りをする。
「ウソぴょーん♪」
「もー、心配したんだから!」
王女と新聞記者が恋に落ちた瞬間だった。


ローマの休日06

夜は波止場でダンスパーティー♪ けれどそこに王女奪還を狙う本国からのエージェント多数。新聞記者軍(盗撮用カメラマン、ヘップバーンカット発明の理髪師)対エージェント軍の大立ち回りに、王女もギターを振り回して参戦。最後は運河に飛び込み難を逃れる。

ローマの休日08

運河から上がりびしょ濡れの二人。
「大丈夫かい?」
「ええ。ふふふふふ、寒い。」
二人は互いを温め合い、初めての口づけを交わす。王女と新聞記者は公の立場を離れた人間として心を通わせる。


ローマの休日09

p3/20
しかし別れはやって来る。責任ある王女としての理性が彼女に別れを告げさせる。
「(このままずっと一緒にいられたら…)」
溢れる感情を論理で抑え込む王女。
「(今はただ抱きしめていて…)」
しばしの抱擁の後、王女は言葉なく王宮に戻って行く。


ローマの休日10

翌朝の記者会見。ヨーロッパ歴訪で最も印象に残った都市を聞かれた王女は一瞬言葉に詰まる。侍従が助け舟を出して「公式見解」を述べさせる。
「どの街もそれぞれ良きところあり、どこが一番と決めるとしたらそれは困難でしょう…」


ローマの休日11

「ローマ…何と言ってもローマですわ。」
病床についていたはずのローマが一番。王女の頭に新聞記者と過ごしたローマの恋のシーンが思い起こされ、思わず本音の言葉が口を突く。


ローマの休日12

「この地を訪れた思い出をずっと大切にして行くつもりです。」
王女の目には光るものがあった。


ローマの休日13


p4/20
何回見ても泣いてしまう。上に示したあらすじだけでも嗚咽が止まらない…ほど涙腺は崩壊していないがそういう読者諸氏もおられるかも知れない。

この映画の何が観客を感動させるのか? 結ばれぬ悲しい恋? だとしたら映画の後で残る温かな気持ちは何? 上のあらすじにキーワードをちりばめたが、公の立場と人間らしさ、理性と感情、節度と自由の対立をくぐり抜ける姿に人は感動するのではあるまいか。2つの対立する心は誰しもがもつ自然な姿であり、アン王女と同様に公を優先せざるを得ないことは多い。しかしそれが自動的に悲劇をもたらすのでなく、対立する心は同じ立ち位置にいるようでいて実はらせん階段を一周のぼった階上で融け合う。「結ばれぬ恋だけれどこれで良かったんだ」と観客は心をほかほかにする。理性が決めた王女の選択は決して冷たいものでなく、王女の温かな涙が観客の涙を誘う。人間を突き動かすのは結局のところ、理性を否定しない感情ではないだろうか。




そんなふうにひとしきり泣いた後、
「伊勢志摩サミット開催」
である(こりゃまたトートツだね)。泣いてたって朝が来る。朝が来れば世界の先進国首脳が来る。みんなで並んで仲良く写真を撮るためにやって来る。この1枚の写真のお値段は600億円である(日本政府予算)。


10.伊勢志摩サミット開催

サミットとはそういうもんである。中身が空っぽでも構わない。世界のリーダーたちがお手々つないで仲良くしてることを民衆に示して安心させるのがサミットの役割である。偉大なる政治ショー。セレモニーはたとえそれが建前だけしかなくても大事である。それにしても600億円は高いような。地元への経済効果が1,100億円だからペイしてるのかも知れない。プレスセンターを30億円かけて作ってたった2日使って壊すところに経済の活性化があるのかも知れない。資本主義だね♪

p5/20
「そんな金があったら熊本を何とかしろ!」
という私に政治家、官僚は優しく答えてくれる。
「そもそもポケット(予算の出どころ)が違うのであって…ムニャムニャムニャ。」
「ポケットに分ける前は全部おれ達の税金だぞ! 今からでも遅くないから、一緒にまとめて意味のある使い方をしろ!」
「いえいえ、もう予算はとっくに通ってしまいまして…ほげほげほげ。」
「見栄張って風光明媚な一流ホテルに連れて行くこたぁない。んなもん、蒲田駅前のアパホテル全館借り切りゃいいんだ。一部屋4,900円で95室まとめて2泊したって100万円でお釣りが来る。」
「あなたねぇ、海外の要人と会うのにビジネスホテルというわけには…(おっと舛添とおんなじこと言いそうになった)。いえ、素泊まりというわけには行かないのでして…」
「だったらバンケットはつぼ八で飲み放題つき宴会2,700円にしろ。クーポンはおれが出す(キッパリ)。おれが払った税金、600億円も使うんじゃない。」
いや、ひとりで600億円払ったわけじゃないんだけど、自分の意に染まぬ使われ方するもんだから税金はビタ一文払いたくない。
「しょうがないから、追加で1億円ほどケイマン諸島に移すか。幸い、おれの名前はパナマ文書に載ってないようだし…バナナ文書には載ってたけどw」

誰が決めたか知らないが、とにかくサミットは伊勢志摩で開かれる。場所を正確に言うと賢島(かしこじま)。東京から4時間半もかかる陸の孤島である。


11.サミット会場の賢島

新幹線と近鉄特急を乗り継いで賢島に到着した。

01.伊勢志摩サミットが開かれる賢島に着いた


p6/20
確かに風光明媚なところである。ホテルの部屋から英虞湾(あごわん)を臨む。

07.ホテルから英虞湾を臨む

サミット会場には入れてくれなかったので、ヒマつぶしに遊覧船エスパーニャクルーズで英虞湾を一周する。途中、サミット会場を海から狙撃できる場所を探すも、遊覧船航路はサミット会場の前を通らなかったのでゴルゴ13ゲームは中止。

03.英虞湾周遊の遊覧船に乗った

英虞湾遊覧35分には養殖真珠の核入れ作業見学10分がついてたので何となく見る。

04.真珠の核入れ


p7/20
覗き込んでみると何だかナマナマしくて見てはいけないものを見た気分になる。自分の好物だったような気がするが思い出せない。なぜかドキドキする。

05.ヌメヌメしてやらしい2

思い出した! ブラタモリでタモリさん曰く、
「サミットは会議どころじゃないでしょ。アワビ食いまくるんだろうな!」
会議よりもアワビw(そっちかーいっ!) 〇欲よりも食欲。


32.サミットは会議よりもアワビ

サミットのバンケット会場には入れなかったので、ホテルの部屋でアワビ、伊勢海老、松阪牛、刺身などを食す。美味いもん食うのに各国のリーダーと並ぶ必要はない。つまらんジョーク言うの面倒だし。
「Hey, Toshi. Is this lobster alive ?(へい、トシ。このイセエビ、生きてんの?)」
「Ya. See it's dancing ! You might be a good dancer after you ate it.
(イエス。踊ってるだろ! これ食ったあとダンスがうまくなるぜ。)」
「Bleeeggghhh !(vomiting)(ぐぇえええ!嘔吐)」


08.ホテルでさあ宴会だ(誰と行ったの?)

とにかくこうしてサミット初日は終わり、2日目もスカスカの内容の安倍サミット議長声明が高らかに読み上げられてサミットは閉幕した。


p8/20
さて、セレモニーに付き合うのはこれくらいにして、本命の、
「オバマ米現職大統領広島訪問」
である。

午後3時にサミットが終わるや否や、オバマさんは広島に移動した。
☆ 15:00 志摩スペイン村ヘリポート
-(大統領専用ヘリコプター)→ 中部国際空港 -(大統領専用機エアフォースワン)→ 岩国米軍基地 -(米軍ヘリコプター)→ 旧広島市民球場 (原爆ドーム横)
→ 17:00 原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)

私は残念ながらエアフォースワンに乗せてもらえなかったので、近鉄特急と新幹線を乗り継いで広島に入った。ただし、サミットの最後まで取材をしていると広島でオバマさんを逃してしまう。つまり、
☆ 15:30 近鉄賢島
-(特急ビスタカー)→ 17:30 近鉄名古屋/JR名古屋 -(新幹線のぞみ)
→ 20:30 JR広島
なので、広島平和記念公園に着くころにはオバマさんの献花が終わっている。そこで昼前に賢島を出発し、広島入りした。



今回のオバマ大統領広島訪問の背景を説明しておこう。

現在、アメリカでは次期大統領予備選挙が繰り広げられているが、オバマ大統領の任期は2017年1月までの8ヶ月である。2009年1月から8年の長きにわたったオバマ時代は最終局面を迎えている。日本では引退間際の政治家は「花道」をもって処遇されるが、アメリカでは「レームダック(lame duck:歩行困難なアヒル)」=「死に体」「役立たず」と差別用語(lame)をもって周辺から見放される。もはやオバマ大統領にはかつての力はない。そのような末期の大統領がすることと言えば、「レガシー(政治的遺産)作り」と相場が決まっている。最後の名誉を取りに行くのである。

オバマ大統領にとって実現可能なレガシーとは何か。テロとの戦いは出口が見えないし、対外政策はしばしば弱腰外交として批判の的になった。オバマケア(医療保険制度改革)法案廃止が象徴するリベラル政治、人に優しい政治の失敗。アメリカ国民は優しさよりも力強さを求め、弱肉強食の競争によりアメリカンドリームが実現できるといまだに信じている。そんな中、オバマ大統領が掲げた政策のうち、唯一、レガシーとして残せそうなものが「核なき世界」の実現である。


22.広島訪問はレガシー作り


p9/20
就任間もない2009年4月、オバマ大統領はチェコのプラハにて「核なき世界」を目指すとする歴史的演説を行なった。
「アメリカは核兵器を使用した唯一の核保有国として、行動を起こす道義的責任を有する。我らはともに核を廃絶できる。できるとも!(Yes, we can!)」
オバマ大統領はいわば核廃絶の心意気を示したのである。この演説を彼の業績とし、2009年10月、ノーベル平和賞がオバマ大統領に授与された。核廃絶の即時実現は困難としても、それに向けた具体的施策を実行する前に、目標を設定しただけでノーベル賞を手にしたのである。ノーベル平和賞決定に政治的なメッセージが込められていることはよくある。
「ノーベル賞あげるんだから、ちゃんと核廃絶、実行してよね。」
そういう趣旨のノーベル賞であり、オバマ大統領は大きな宿題を背負ったわけである。


23.ノーベル賞の後付け


8年間のオバマ政治において核廃絶はどこまで進んだだろうか。達成したことと言えば、イランの核開発をストップさせたことくらいである。核兵器の代わりに通常兵器を大量導入したことは殺人の手段を入れ替えたに過ぎない。核セキュリティーサミットを主催したけれど、口先だけの演説会。逆に、核保有国が核廃絶を法的に定めた唯一の条約である新START(新戦略兵器削減条約)はロシアとの対立で実現が進まず、また中国をこの条約に参加させることも叶わなかった。核弾頭の数だけを減らして高性能の核兵器に置き換えるという「近代化計画」を打ち出すことで、反発したロシアや中国を核軍拡に向かわせた。また、中国との対立からそれまで容認されていなかったインドの核武装を既成事実化し、「新たな核保有国」を増やしてしまった。北朝鮮は核実験を繰り返し、経済制裁は実効力を伴っていないことが露呈した。一方、核を持たざる国が核廃絶を目指すCTBT(包括的核実験禁止条約)にアメリカは批准(条約同意)せず、他の核保有国(中国、インド、パキスタン、イスラエルなど)などとともにCTBTを骨抜きのままにしている。結局、総合的に見てオバマ大統領は核廃絶という宿題をほとんどやっていないのである。

24.核なき世界をめざしてできなかった


p10/20
日本人のように謙譲・卑下を美徳とする民族であれば、今なおノーベル賞を懐に抱いていることは恥ずかしくてたまらないが、アメリカ人のオバマ大統領にそんなメンタリティーはない。いや、アメリカ人のメンタリティーを私は否定するつもりはない。むしろ、恥のあまり腹をかっさばいてしまう日本人こそどうかしてると思っている。失敗した人間が切腹したって事実として何も変わらない。失敗は取り戻せない。それよりも事実をポジティブに進めるために性懲りもなく諦めないのがアメリカン・スピリットである。そんなわけでオバマ大統領は自身の未達事項を少しでも取り戻すために5/27の広島電撃訪問を決心した(5/9)。8年間の任期中に達成できなかった「核なき世界」の実現をライフワークとするつもりであろう。核廃絶がたとえ人間オバマの名誉欲から出たものとしても、その恩恵を被る人類は彼の欲を汚いものとして批判すべきでないだろう。人間の行動はすべて欲(快楽の追及)が支配しているのだから。

21.オバマ広島訪問決定


アメリカの現職大統領が広島・長崎を訪問することに対してアメリカで根強い反対論があった。曰く、
「訪問は謝罪を意味する。アメリカの原爆投下を間違った政策として認めることになる。原爆投下は戦争の終結を早め、アメリカ国民だけでなく日本国民の多くの命を救ったのだ。」
この主張は日本側から言わせれば間違っている。戦争の終結にはソ連の参戦が大きな影響力を持っていたが、アメリカは戦後の日本占領のイニシャチブを取るために原爆を落として戦争の終結を早めたに過ぎない。日本人の命を救うためではない。百歩譲って結果的に多くの日本人の命を救ったとしても原爆投下で奪われた命は戻らない。原爆を使わず地上戦が沖縄から鹿児島などに展開された場合のことを考えても、鹿児島の命を救うために広島・長崎の命を犠牲にして良い道理はない。命の大切さは統計的に交換処理できるようなものではなく、あくまでも広島・長崎で失われた命に対する反省が必要なのだ。

原爆投下は正義かどうかに対するアメリカの世論調査では、「56%が正義、35%が非正義」となっている。原爆投下に否定的なアメリカ人が35%にまで達したのである。特にアメリカ国内でも批判されるのは広島に続いて長崎に原爆を投下したことで露呈したアメリカの政策意図である。わざわざ2種類の原爆(ウラン型とプルトニウム型)を広島・長崎に投下したことは初めから日本人を使って生体実験(動物実験)するつもりだったのだ。そこには日本国民を救うなどといった正義はない。

p11/20
残る問題は「アメリカ現職大統領訪問が謝罪を意味するかどうか」である。アメリカ大統領としては絶対に謝罪するつもりはない。特に退役軍人やその関係者が存命であるうちは、日本への謝罪は現在の軍隊への士気低下にもつながる。広島訪問が謝罪という誤ったメッセージをアメリカ国民にもたらすものであればアメリカ大統領は広島を訪問できない。問題の答が出たのはケリー国務長官とケネディー駐日大使の広島訪問に対するアメリカ世論の反応である。確かに彼らは謝罪をしなかった。それを見てアメリカ人(有力新聞紙や一般人)は広島訪問は必ずしも謝罪を意味しないことを理解した。彼らの訪問は概ね好意的に捉えられた。これでオバマ大統領の広島訪問が現実のものとなった。


ケリーとケネディー広島訪問2



オバマ大統領よりも一足早く広島の地に降り立った私は、「あの日」ここで何があったのかを知るべく広島平和記念資料館を訪れた。

米爆撃機B29エノラ・ゲイから広島に投下された原子爆弾。上空からは地上の様子をうかがい知ることはできない。


原爆2

けれどそこには確実に人間の生活があった。

原爆3

p12/20
地上の惨状はアメリカ人であろうと見た者なら誰の目にも明らかである。

原爆後7

一瞬のうちに生きながらにして焼かれた人、人、人。

原爆後4
原爆後5

即死を免れた者も苦しみだけを伝えている。

苦しみだけが伝わる2

作り物でしか表現できない世界。

広島原爆記念館2-1

p13/20
けれどそれを「事実」として体験した人による証言。

広島原爆記念館6

アメリカ人であろうと、「あの日」何がここであったか、そして「これから」何をすべきなのか、同じ人間なのだから分かるはずである。

広島原爆記念館5

資料館を訪れたケリー国務長官はゲストブックにメッセージを残した。
ケリー国務長官のメッセージ
世界中の全ての人々がこの資料館を見て、その力を感じるべきだ。核兵器の脅威を終わらせる責任だけでなく、戦争そのものを無くす誓いを、激しく抗いがたいほどの厳しさで思い出させる。戦争は最後の手段であり、決して最初の選択であってはならない。世界を変え、平和を築き、全世界の人々が欲している未来を作る努力を倍増させること。この資料館は、そのことを私たち全員に訴えかけている。


p14/20
オバマ大統領が広島平和記念公園に到着し、ケリー国務長官のアドバイスを受けて資料館を訪問。原爆死没者慰霊碑に献花。そして演説(スピーチ)が始まった。「過去」を謝罪しない「未来志向」の演説とは何を意味するのか、注目が集まった。


「みなさん、アメリカ合衆国大統領として今日ここ広島の地に立てたことを私は誇りに思います。『核なき世界』を目指した私の政策の原点がここにあるからです。

最高の同盟国である日本とアメリカは世界の安全保障にとって、すなわち人類の平和にとって不可欠の存在として確実に歩を進めてきました。守るべき平和があり、それを危うくする脅威がある。日本とアメリカは平和への飽くなき希求のために戦後の長きにわたって同盟関係を結んで来ました。そして両国は共通の理解の下、平和を脅かす存在に対して断固たる決意で臨んで来ました。人類の未来を確実なものとするために、両国が築き上げたパートナーシップはいささかも揺らぐものではあってはなりません。たとえどのような忌むべき事件・事故が起ころうとアメリカは誠意をもって問題を解決し、今後とも日本と手を携えて歩み続ける決意を表明します。このことを平和のシンボルであるここ広島で誓い新たにできることは誠に感慨深いものがあります。

しかし過去の一時期、日本とアメリカは互いが互いを苦しめ傷つけ合う不幸な関係にありました。それがたとえ外交上の誤解に基づくものだとしても、戦争に訴えたことは看過することができません。戦争は平和実現へのひとつの手段として使われて来ましたが、最初の選択であってはならないのです。戦争によってもたらされる悲劇に人は泣き、苦しみ、あまつさえ戦争はかけがえのない命まで奪います。そのような反省の下、日本の歴代首相におかれてはアメリカで平和の祈りを捧げて頂きました。したがって、アメリカ合衆国大統領が広島で祈りを捧げるのは極めて自然なことであり、なんぴとたりとも躊躇するものであってはならないはずです。そして今日、献花を果たすことができ、アメリカによる広島の祈りという歴史の1ページが開かれたのです。

はじめに申しましたように、広島は私が目指す『核なき世界』の原点であります。思い起こせば核兵器廃絶は私の学生時代からの夢であり願いでした。ここ広島に住まうみなさんと同じ願いを私はずっと共有してきたのです。大統領就任後、その夢を現実のものとするべく、さまざまな施策を実行してまいりました。しかしながら核兵器が戦争の抑止力として一定の役割を果たしたという負の遺産はあまりに大きく、人類は核を手放すにはいまだ至っていません。私の夢は道半ばであり、広島のみなさんの願いを成就できていないことを心苦しく思っています。しかしそれでも人類にはチャンスがある、私にはまだやるべき仕事があると考えています。今日、ここ広島を訪れたことを私は一生の思い出として心に刻み、『核なき世界』実現のために自分を鼓舞する記念碑とするつもりです。

p15/20
私は大統領就任以来、一貫して核兵器削減に努めてきました。世界平和を脅かす敵対勢力の存在は明らかですが、それらの勢力との闘いに核兵器は不要であり、通常兵器こそが平和を守る術と考えるからです。どの兵器も等しく排すべきとの理想には残念ながら人類はまだ程遠いと言わざるを得ません。現実を直視すれば、制御可能な通常兵器の放棄よりも制御不可能な核兵器の廃絶を優先することはみなさんの願いにも合致するものと考えています。核兵器の制御不可能性、言い換えれば核兵器の非人道性は…


102.オバマ途中で絶句2


罪のない一般市民に苦しみを与え…

103.オバマ途中で絶句3


… sorry

104.オバマの涙


…核兵器の非人道性はみなさんが自身の苦しみとしてご承知のものです。私はいつの日か『核なき世界』を自分のライフワークとして実現させたとき、その原動力になったのが紛れもなく今回の広島訪問であるとして感謝するつもりです。」

p16/20
「Thank you, Hiroshima ! I love you, Hiroshima !」


105.オバマの涙



こうしてオバマ大統領の広島スピーチは終わった。最後に彼が見せた涙は本物だったと信じたい。公式見解として論理的で理性の効いたオバマ大統領の演説は何も否定されるものではない。けれど、日本人、とりわけ原爆の被害を被った広島の人々の心に響くものではなかった。かと言って心からのお詫びは立場上期待できない。原爆の惨状の絵がオバマ大統領の脳裏をかすめ、思わずこぼれた感情が涙となってにじんだ。オバマ大統領の涙が広島の人々の心を動かした。心を揺さぶったのは理性的な人間がときに見せるありのままの感情だった。




あれっ? 今日は何日だろ? 伊勢志摩サミット開催が5/26(木)-27(金)。オバマ大統領の広島訪問は5/27(金)の夕刻。その取材原稿を仕上げたのが5/28(土)の午前11時。カレンダーを見ると…今は5/25(水)の午前11時…。あああああ、またタイムスリップやっちゃったんだ。「ローマの休日」を見ながら理性と感情、節度と自由の対立が階上で融け合うとか、小難しいことを考えていたら時を超えてしまったみたいだ。

この記事の通りのことがこれから起こるんだ。いや、もしかすると書き上げた「事実」はこれから実現する世界とは別のパラレルワールドの事実であって、オバマ大統領は涙を見せないのかも知れない。でもまあいいや、せっかく書いたんだし、今さら公開を「2016-05-28」にしないで、未来記事として「2016-05-25」のまま出しちゃえ。はい、ポチッとな♪





p17/20
※ 2016/5/26(木)1:00:00 追記
伊勢志摩サミットに先立って安倍・オバマ日米首脳会談が開かれた。今日の朝刊に、
「誠意のない、的外れなオバマ声明が日本に失望感を与えた」
という記事が掲載されるだろう。オバマ大統領は何のために日本にやって来たのか理解していない。日本の前に訪問したベトナムで自分が達成した業績を語ってどうする。日米首脳会談の思惑は安倍・オバマでまったくかみ合っていなかった。オバマ大統領のこの姿勢に対して日本国民は怒りの声を挙げ、オバマ大統領にプレッシャーを与えるべきである。具体的には未定とされている広島平和記念資料館訪問と被爆者との面会をオバマ大統領に突きつける必要がある。このままでは日本国民から総スカンを受けて、広島訪問が無意味なものになるだろう。オバマ大統領は自身のレガシー作りが失敗に終わらないよう言動を再考すべきである。上の記事はやはりパラレルワールドにおける別のオバマ大統領だったのかも知れない。


※ 2016/5/27(金)3:00:00 追記
オバマ大統領の広島でのスケジュール。スピーチ会場に「謝罪を要求しない未来志向」の被爆者が厳選されて出席。大統領から被爆者への「ねぎらい」、被爆者から大統領への「激励」があるかどうか。広島平和記念資料館訪問がほぼ確定した。ゲストブックにどのようなメッセージを残すかに注目。資料館を訪問していない昨夜の段階では、「私が学生だった冷戦時代、原爆投下の避難訓練として教室で机の下にもぐった」という自身の「恐怖」体験というフザけたことをのたまっていた。本当の恐怖とは何か、資料館訪問で思い知るべきである。資料館での彼の「原爆体験」がスピーチに反映されるかどうか。「オバマの涙」は今のところ不確定である。


※ 2016/5/28(土)11:00:00 追記
オバマ大統領の広島滞在は50分。資料館訪問10分、芳名録に記帳。
We have known the agony of war. Let us now find the courage, together, to spread peace, and pursue a world without nuclear weapons.
予定の5分間スピーチは17分間に延長。広島スピーチ全文より。
Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. …We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.…That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.(…価値あるのは、広島と長崎が原爆戦争の夜明けとしてでなく、我々自身の倫理が目覚めた出発点として知られる未来である。)
単語数1,451。私が書いたパラレルワールドにおけるスピーチは単語数1,477でほぼ一致。どちらのスピーチが好みであるかは読者の判断に任せよう。ともかく私の1,477単語スピーチに対抗して大幅に書き増したようであるw




p18/20
※ 2016/5/29(日)02:00:00 追記
スピーチライターの用意周到なスピーチに大統領が資料館で感じた思いを臨機応変に反映させる時間はなかった。けれど被爆者の一人と交わした抱擁で人間オバマの目に光るものを見たのは私だけではないだろう。


被爆者との抱擁と涙

あ、やっぱりこの記事のタイトル「オバマの涙」で良かったんだ。




オバマ大統領の実際のスピーチを下に示す。ワタクシの創作スピーチと比べると、さすがに本職のスピーチライターが書いた文章は語彙豊富で巧みである。しかしその一方で、物語のような他人目線で綴られた美辞麗句は彼の決意や感情を訴えかけるには弱かったと思う。読者諸賢におかれてはどのように感じられるだろうか。

「71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。閃光(せんこう)と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。

われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。

広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。いずれの大陸も文明の歴史は戦争で満ちており、食糧不足や黄金への渇望に駆り立てられ、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせき立てられた。帝国は台頭し、そして衰退した。民族は支配下に置かれ、解放されたりしてきた。転換点において罪のない人々が苦しみ、数え切れない多くの人が犠牲となり、彼らの名前は時がたつと忘れ去られてきた。

p19/20
広島と長崎で残酷な終焉(しゅうえん)を迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国家間で勃発した。彼らの文明は偉大な都市と素晴らしい芸術を育んでいた。思想家は正義と調和、真実という理念を発達させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同様に支配あるいは征服の基本的本能により生じてきた。抑制を伴わない新たな能力が、昔からのパターンを増幅させた。ほんの数年の間で約6千万人が死んだ。男性、女性、子供たちはわれわれと変わるところがない人たちだった。撃たれたり、殴られたり、連行されたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えさせられたり、毒ガスを使われたりして死んだ。

世界各地には、勇気や勇敢な行動を伝える記念碑や、言葉にできないような悪行を映す墓や空っぽの収容所など、この戦争を記録する場所が多くある。しかし、この空に上がった、きのこ雲のイメージが、われわれに人類の根本的な矛盾を想起させた。われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然とは違う能力、自然をわれわれの意志に従わせる能力、これらのものが無類の破壊能力をわれわれにもたらした。物質的進歩や社会革新がこの真実から、われわれの目を曇らせることがどれほど多いであろうか。高邁(こうまい)な理由で暴力を正当化することはどれほど安易なことか。

偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。一方で、どの宗教もその信仰が殺人を許容していると主張するような信者の存在から逃れることはない。国家は、犠牲と協力を結び付ける物語をつむぎながら発展してきた。さまざまな偉業を生んだが、この物語が抑圧や相違を持つ人々の人間性を奪うことにも使われてきた。科学はわれわれに海を越えてコミュニケーションを取ることを可能にし、空を飛び、病気を治し、宇宙を理解することを可能にした。しかし同じ発見は、より効果的な殺人機械へとなり得る。現代の戦争はこうした真実をわれわれに伝える。広島はこの真実を伝える。人間社会の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。

だからこそわれわれはこの地に来た。この街の中心に立ち、爆弾が投下されたときの瞬間について考えることを自らに強いる。惨禍を目にした子供たちの恐怖を感じることを自らに課す。無言の泣き声に耳を澄ませる。われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかし、われわれは歴史を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならないかを問う共通の責任がある。いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろう。しかし1945年8月6日の朝の記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像力を養い、われわれを変えさせてくれる。

あの運命の日以来、われわれは希望をもたらす選択もしてきた。米国と日本は同盟関係を築くだけでなく、戦争を通じて得られるものよりももっと多くのものを国民にもたらす友情を築いた。欧州の国々は戦場に代わって、交易や民主主義により結ばれている。抑圧された人々や国々は自由を勝ち取った。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を規制、削減し、完全に廃絶するための機関を創設し協定を結んだ。それにも関わらず、世界中で見られる国家間のテロや腐敗、残虐行為や抑圧は、われわれがすべきことには終わりがないことを示している。われわれは人類が悪事を働く能力を除去することはできないかもしれないし、われわれが同盟を組んでいる国々は自らを守る手段を持たなければならない。

p20/20
しかし、わが国を含む、それらの国々は核兵器を貯蔵しており、われわれは恐怖の論理から抜け出し、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければならない。こうした目標は私の生きている間は実現しないかもしれないが、粘り強い取り組みが惨禍の可能性を引き下げる。われわれはこうした保有核兵器の廃棄に導く道筋を描くことができる。われわれは、新たな国々に拡散したり、致死性の高い物質が狂信者の手に渡ったりするのを防ぐことができる。しかし、まだそれでは不十分だ。なぜなら、われわれは今日、世界中で原始的なライフル銃やたる爆弾でさえ恐るべきスケールの暴力をもたらすことができることを、目の当たりにしているからだ。

われわれは戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。外交を通じて紛争を予防し、始まってしまった紛争を終わらせる努力するために。増大していくわれわれの相互依存関係を、暴力的な競争でなく、平和的な協力の理由として理解するために。破壊する能力によってではなく、築くものによってわれわれの国家を定義するために。そして何よりも、われわれは一つの人類として、お互いの関係を再び認識しなければならない。このことこそが、われわれ人類を独自なものにするのだ。

われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない。われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる。われわれは子供たちに違う話をすることができ、それは共通の人間性を描き出すことであり、戦争を今より少なくなるようにすること、残酷さをたやすく受け入れることを今よりも少なくすることである。われわれはこれらの話をヒバクシャ(被爆者)の中に見ることができる。ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許した。本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからだ。ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからだ。

わが国は単純な言葉で始まった。「人類は全て、創造主によって平等につくられ、生きること、自由、そして幸福を希求することを含む、奪うことのできない権利を与えられている」理想は、自分たちの国内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して容易ではない。しかし誠実であることには、努力に値する。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。全ての人にとってかけがえのない価値、全ての命が大切であるという主張、われわれは人類という一つの家族の仲間であるという根本的で必要な概念。われわれはこれら全ての話を伝えなければならない。

だからこそ、われわれは広島に来たのだ。われわれが愛する人々のことを考えられるように。朝起きた子供たちの笑顔をまず考えられるように。食卓越しに、夫婦が優しく触れ合うことを考えられるように。両親の温かい抱擁を考えられるように。われわれがこうしたことを考えるとき71年前にもここで同じように貴重な時間があったことを思い起こすことができる。亡くなった人々はわれわれと同じ人たちだ。普通の人々はこれを理解すると私は思う。彼らは、さらなる戦争を望んでいない。彼らは、科学は生活をより良いものにすることに集中すべきで、生活を台無しにすることに集中してはならないと考えるだろう。各国の選択が、あるいは指導者たちの選択がこの単純な分別を反映すれば、広島の教訓は生かされる。

世界はここ広島で永久に変わってしまったが、この街の子供たちは平和に日常を過ごしている。なんと貴重なことであろうか。これは守るに値し、すべての子供たちに広げていくに値する。これはわれわれが選択できる未来なのだ。広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになるだろう。そうした未来をわれわれは選び取る。