展示会は終わったけれど、広げた風呂敷はいまだ閉じられていない。レース展準備を最優先したおかげで放り出していた雑多な事柄も目につく。以前より頻繁に外に出かけるし、家内にいても片付け事で階段の上り下りを繰り返すことが多い。少し前まであれほど作業机の前に、根が生えたようにへばりついていたのが、別人ごとのように感じられる。よくもまぁあれだけの時間をステッチに費したものだ。

 

 

 

 京都から東京に戻った翌朝に慌ただしく羽田を飛び立ったパオラたちも、すでに日常を取り戻しDECO(ボローニャの伝統文化を継承する団体に市が付与するロゴ)を冠する団体の活動イヴェントも、フランチェスカ主導のもとで19世紀の装飾に彩られたマルヴェッツィ宮の大広間、黄金と赤色で彩られた荘厳な空間で披露されたようだ。滅多にない体験に教室の仲間たちも華やいだ感想を寄せていた。一昨年のヴェネツィアのモチェニーゴ宮でステッチした記憶が蘇る。

 

 

 

 

 

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 84歳にして海外初渡航の長旅を終え日曜日の深夜にパオラは帰宅した。旅の間は微塵の疲れも伺わせなかったが、緊張が解ければ疲れを実感するはずと、私からは連絡をしないままでいたが、帰国した翌朝には日本での体験の興奮が冷めぬままの口調での、長いメッセージが彼女から届いた。まぁ、それならばよし、と安心したのもつかの間、再び金曜日の明け方にパオラから連絡があった。あちらは夕刻、ボローニャからイモラに電車で帰る途中だという。

 

 

「月曜日、部屋は台風で荒らされたように物が散らばっていたけれど、ふだんどおりの体調だった。火曜日は疲れて1日中家に留まった。でも水曜日にはいつもの通り食料品の買い出しに行き、木曜日の今日はボローニャの街中でフランチェスカとパオラ・カーザディオと会い、貴女の国でのたくさんのことを話した、本当にたくさん」

「来週水曜日にボローニャ大学病院に入院し、翌日に手術をする。すべては順調に進んでいるから安心して」

 

 

 

 胆嚢に嚢胞が見つかり内視鏡でそれを除去しなくてはならないが、コロナ感染者が多くなかなかその手術日が決まらない。手術の日程次第では日本行きも断念しなくてはならない、と昨秋にパオラから打ち明けられて以来、いつその手術が行われるのか気を揉んできたが、結局彼女はその嚢胞を抱えたまま日本にやってきた。そして誰もが驚くほど精力的に私たちの展示会に関わり、東京と京都を巡り歩いた。

 

 

 まさか帰国後10日してで手術を受けるなんて、とひどく驚いたが、目の前に現れた事案にあれこれ言わず、常に前向きにこなす様が、いかにもパオラらしい。それがパオラだ。これからの長いバカンス時期に静養し秋の教室に備える心づもりなのだろう。もう今年のバカンスは満喫したのだから、暑気にしっかり身体を休め、新たな図案とも向き合う。Aemilia.Arsに暮らしのすべてを差し出しすパオラの姿を思い描く。

 

 

 

 

 

 

 

 展示会終盤のある日、大賑わいだった日中が嘘のように思える静まったいっときに、時折服を作ってもらう店のジョージくんが、ひょっこり会場に顔を見せてくれた。展示会の案内状を送っても何も反応がないのは、おそらく暮れから体調を崩されている父上のことが絡んでいるのかもしれないと思っていたがそうではなく、しばらく前に彼自身が網膜剥離の緊急手術を受け、まだ完全には回復していない状況なのだという。  

 「まぁ、そんな時に」と彼の店にはいつも一緒のレース仲間と声を揃え、恐縮した。

 

 

 

 

 万全でない体調を押してまで来廊してくれたジョージくんに、その礼を伝えたのは6月もたいぶ過ぎてからだ。

 

 

 

先日は素敵な展示会を見せていただいてありがとうございました。

心地よい疲れでしょうね。本当にお疲れ様でした。

 素晴しくセンス溢れる世界観で、

   眼の不調で心が押し潰されそうな時期に、ふわーっと光がさすような気持ちになりました。

 

実はあの後、24日に父が亡くなりました。

それまで元気にしていたのですが、体調を崩して熱が出て3日間だけ苦しんで、

あっという間のことでした。

 

        15年病気を抱えながら、共に病気と闘って、

病気と共存しながらなんとか楽しい日々を送ってきました。

              寂しい気持ちはありながら、なにか晴れやかな気持ちにもさせてくれているのは、

             父のどんな時も人に嫌な顔を見せず、周りを楽しませる人柄からなのかとも感じています。

 

   祖父母、父の残した店をこれからも素敵な店にしてまいります。

 

 

 小さな花束を手に件のレース仲間と彼の店を訪ねた。まずは併設するカフェでランチしてと扉中に入ると、亡くなられた方がいつも座っていらした位置に、黒猫の尻尾を想わせる愛らしい飾りのある小さな帽子を、頭にちょこんと乗せたお連れ合いがいらした。

 「お母さま、このたびは大変でしたね」「そうね、ちょっと大変だったけれど、いまは冬にあなたの家の薪ストーヴでの焼き芋をいただきに行くのを楽しみにしているのよ」と微笑まれた。十二分に心尽くした別れを経験した者だけにある静けさだ。

 

 

 食事し支払いを済ませると、私たちを待っていたようにお連れ合いが傍らの棚から洒落たクッキー缶のようなものを手に取り、何を言うこともなく、缶の中におさまる物を幾枚も取り出された。

 

 

 

 

 

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          2023.9.16 一度に6名もう涙・・・

 

 

 

 

 

 

  お父さんがここでこれを描いていたなんて、みんなまったく知らなかったのよ。

  亡くなられてから見つけられたのですか、、、

 

 

 レジカウンターで店番をしながら、故人が描きためていたコースターのひとつひとつを手にとり、溢れる茶目っ気とウィットに私たちは感嘆した。彼とパオラが同じ歳であったことも知る。そういえばパオラも「若い、若い」という周囲の声に「私は84歳だけれど、日本に来て48歳になったかもしれない」と嬉し気に応えていた。いつまでも失わぬ心の若さは、後追うものへの道標さえ示す。

 

 

 

 

 今週末はInternational Lace Dayだ。こともあろうも昨年のその日にパオラの盟友ロザンジェラが逝った。そしてその10日後、私の招きに応じ日本に来るとパオラは決心した。濃密な時間は、ほんの少し前にあったことさえ昔日の出来事のように思われてしまうのは、どうしてなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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