寒暖差はあっても頃は確実に春というのに、硬くなった身体が、いっこうに暖かさを感じてくれない。友人が展示会準備でさぞかし疲れているでしょう、と届けてくれた佐幸のヤマブドウジュースが、心に染み渡る。初めて会ったとき、彼女はまだ小学生だった。

 

 そうこうと暮らすなか、庭の春を見つけた。少し前まで芽吹きすらしていなかったアケビの花房が垂れている。好物の新芽を勇んで摘んだ。

 

 
 

 

 

 

 

 

   関東から四国を経て九州まで車で向かうという知り合いに、浜松まで同乗させてもらった。浜松には夫の学校時代の同級生夫妻がいる。当然彼らは私の知らない十代後半の頃の夫の様子を知っている。

 

 

 

 医療過誤からICUに担ぎ込まれた夫の許にその友人が駆けつけてくれたのは、ウィルス蔓延で家族も面会が拒否される直前のことで、遠路来られたからと、マスクさえあれば夫への面会が叶えた。財布ひとつで駆けつけたものだから、当然マスクなど携行するわけもなく、それを探し求め夏目坂周辺をずいぶん走り回ったらしい。

 

 

 

 

 40代で西洋菓子関係の業界誌編集の仕事を辞め、練馬のかなり広い家屋敷を処分して下田で彼は米作りを始めた。いまでこそあちこちの休耕田にひまわりや菜花が当然のように植えられ、観光の一端を担っているが、いち早く下田の休耕田に菜花を植えた彼は、何かとクレームばかりの行政と無益な戦いを強いられた。

 近隣のアーティストとの地域おこしのリーダー的存在だったが、外野の声に嫌気がさし、ぷいっと長男が住職を務める浜松の寺に移った。

 

 

 

 あいつは念願の寺男になったのだから、本望だろうよ、と評していた夫にとって彼は、生涯心許せる存在だったはずだ。

 

 

 

 夫の病室に通う私を気遣い、フランス菓子や絶品のジャムを手作りし頻繁に送ってくれた。それは夫のいない今も続いている。

 

 すでに80歳近いふたりに、せめて1度は直接会わねばと心に留め置いていたが、なかなか腰があがらず、九州まで行く車に便乗させてもらう許しで浜松行をやっと決断した。

 

 

 土地の美味しい食材を使っての手作り料理を囲みながら、長い年月の交流の中に浮かぶ記憶を、私たちは夢中で話し笑った。

 

 

 

 

 5月にあるレースの展示会の案内状を、知り合いに届け終えた。sns用の案内状も用意したが、東北や九州といった遠路から出向いてくれる人たちに簡便な形でことを済ませたくなく、春花の切手を1枚1枚貼り投函した。それは夫不在後の私の生存報告でもあった。

 

 

 

 

 

 

 展示会の会期中に友人が『伊太利亜茶会』と銘打ったものをいたしましょう、と申し出てくれた。海外初渡航のパオラに一服差し上げたいという友人の思いが、多少展開し50人ほどに会場で振る舞うことになっている。

 浜松まで同乗させてくれた友人や茶人の彼との交流にも、30年あまりの時間が詰まっている。

 日常的に交わりがあるわけではないが、夫や私のここ、というところで彼らは必ず関わってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休職し、ボローニャでフルインクルーシブ教育について1年調査研究し先月帰国したトシから、電話があった。

 

 

 いや、何というわけでないですが、展示会準備のなかでイタリア側との交信で困っていないかと思って。

 

 

 昨秋ボローニャに滞在し教室に通う傍ら、パオラたちの来日について話し合いを重ねたが、ヴェネツィア大学出身のトシがそこに何度か同席してくれ、心強かった。周知するイタリア人気質の典型ともいえるパオラの同行者の、ある意味で不遜気ままな言動に私が振り回されてはいないか、と心配していたという。

 

 

 実はね、と吐露し始めたら抱えていた感情から言葉が溢れ出る。そのいちいちにトシは自身の体験を交え、同調共感してくれた。他国人の気質をまったく知らないわけでもなかったが、この同行者との年明けからの遣り取りは、さして得意でもないイタリア語ということも加わり、経験ないほど心身の疲弊を感じた。

 疲れた身体は容易に回復しないが、鬱屈していた心情をトシにあるかぎり白状し、どれだけ気分が軽くなっただろう。

 

 

 

 誰もが承知するように、良いこと尽くしで生きられはしない。長い付き合いであれば、彼らが被った理不尽な出来事もすべてではないにしろ、窺い知ることは多い。同様に彼らも私の被った出来事を理解し受け止めてくれている。

 そうした場面で過度に言葉を交わした記憶は、私たちにない。ただ必要であろうことに、彼らはそっと手を差しのべてくれる。

 

 

 「優しさ」とは何だろう。もしかしたら、こうして30年50年の長い付き合いの背景に横たわるのが、「優しさ」なのではないだろうか。一朝一夕に「優しさ」は生まれない。彼らの優しさを今更に感じ入り、深く感謝した。

 

 

 

 

 3月23日にピアニストのポリーニが逝った。彼の紡ぐ音楽を傾聴した40年も、長い付き合いのひとコマだった。