展示会の案内状に載せる写真を幾枚か撮った。どれを使うかはアレンジする人に任せよう。期日などの詳細を整え写真を添えて依頼すれば、1週間ほどで案内状が仕上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  長い年月の人の上り下りで丸く擦り減った石段と、扉を手動で開け閉めするエレベータが建造物の歴史を象徴する銀座奥野ビルは、戦争を含む90年を生きた昭和初期の建物だ。

 ブログを通し繋がり得た希有な人たちそれぞれが抱く「糸」への想いをテーマに、展示会を持つと決めたのは一昨年の暮れだった。歴史を醸しながらも立地条件のよい奥野ビルの人気の一隅を借り受けることができたのは、私たちにとって幸運だった。

 

 

 

 

 エミリア地方ボローニャで20世紀初頭にAemilia.Arsというニードル技法のレースが確立されたのは、リナ・ビアンコンチーニ・カバッツァ伯爵夫人の粘り強い意志の賜物であったという。女性にも収入が得られるようにと、無償でレース技術習得の機会が子女に与えられた。女性が自らの力で収入を得て自立を促すという意図が、あらたなレース技術確立に深く寄与したことに心惹かれる。

 

 

 

 

 Aemilia.Arsを始める以前に、ベルギーレースを10年ほど習っていた。どちらもニードルレースではあるが、糸で枠囲みした小さな空間を極細の糸で埋めていくベルギーの手技とは異なり、Aemilia.Arsはわずかなしつけ糸の誘導のみを頼りにステッチを積み重ねていく。初めてAemilia.Arsと出会ったとき、その糸の軌跡の伸びやかさに目が奪われた。糸の描く花や星、鳥や果実が謳歌する生命の力に心打たれてしまった。

 

 


 

 展示会開催の概容が決まった時分に駄目であってもとにかくと、Aemilia.Arsの希有な技術者であり2017年以来指導を仰ぐパオラ・レスティに、「日本に来ませんか?」と声かけをした。しかし彼女の盟友ロザンジェラが癌再発の病床にあったこともあり、他のことで連絡を取り合うことはあっても、来日の有無についてはまったく触れられることがなかった。今年84歳の海外渡航経験皆無のパオラのためらいは、何いわれなくとも充分過ぎるほど理解できた。

 くしくも昨年のインターナショナル・レース・デイのその当日に、ロザンジェラは息をひきとった。パオラの心中を慮るばかりで、掛けられる言葉ひとつ見つけられないまま2週間ほどが過ぎた7月8日、唐突にパオラから日本行きの打診が送られてきた。

 

 

 Aemilia.Arsのアンティークと今の作品を持って、あなたたちの展示会に行くというのはどうだろう。

 

 

 あくまでもあなたたちの展示会だから、とパオラは遠慮するが、現地で目にするも希有なレースたちを、彼女が抱え来てくれるというのだ。レースが入ったバックを持ち運ぶのも、まったく人任せずいつも宝物のように自らが運んでいるあの人たちの自作への思い入れを知るだけに、それをここ日本で多くの人に披露できると思うだけで、昂揚する心地で身体が熱くなった。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが悲しみを乗り越えるパオラの流儀なんだ。Aemilia.Arsの素晴らしいデザイナーでもある彼女の図案が、とある年に多数集中して描かれていることに気づいたことがある。生徒の求めに応じたり日常的に図案を描いているパオラだが、あぁ、命が弾ける素敵な図案だな、と製作年を改めると、必ずその年に行き着く。それはまさに彼女のご主人が亡くなられた年だった。50年連れ添った伴侶を見送った時間の中で、ひたすら図案と向き合ったパオラの姿を想うと、胸が詰まる。

 新たな目標を自らに課すことで、被った悲しみを乗り越えていく、パオラの生き方が好きだ。

 

 

 

 

 展示会のタイトルの『白糸と色糸のおはなし』は、私たちの白糸レースとともに、「色糸針箱」氏のクロスステッチが色を添えてくださることから名付けた。仕事を展開される傍ら、独学で30数年クロスステッチでの表現に挑まれてきた方だ。彼の作品を初めて手にしたとき、時の堆積といえばよいのだろうか、ずっしりしたその手応えに心底驚いた記憶は忘れがたい。

 

 

 ベルギーレースからイタリアのAemilia.Arsに行き着いた私同様、他の仲間たちも様々なレースや刺繍技法を経て、いまAemilia.Arsと向き合っている。数点ではあるが、過去の立ち位置とAemilia.Arsとのコラボケーションも展示する。私たちの展示会が、糸による表現の多様性を伝えられるものになればと願っている。

 

 

 

 

 できたらロザンジェラの墓に詣でたいとパオラに申し出たことがあった。

「ロザンジェラの墓がどこにあるか私は知らない。知りたくもない。彼女はいまもあの家にいる」と自身に言い聞かせるようにつぶやいたパオラの声を思い出す。

 土葬では埋葬の土がしっかりするまで1年ほどの時間が必要で、それから墓標が建てられることをのちに知ったが、もしロザンジェラの墓標が建てられたとしても、パオラはそこを訪れはしないかもしれない。

 パオラは胸にあるロザンジェラとともに、日本にやってくる。