豆喰いは今に始まらず、思えばひな祭りのあられに混じる煎り黒大豆だけを、砂糖がけのはぜ米の中から探し食べるような子どもだった。

 

 

 

 数年前から新豆の時期になると、1年分の乾燥豆をまとめ買いするようになったのは、美味しいだけではなく、そこでしか手に入れられないものも揃っていたからだ。そのまとめ買い先から電話をもらったのは、ボローニャから戻り1週間も経っていなかったある日のこと。よほどでないかぎり登録をしていない番号からの着信に応じたりはしないが、前日にも同じ番号から着信があったので気になっていた。ほとんど交流はないが、独りで暮らす高齢な身内もいるので、登録がないからといって完全に無視できない事情もあり、硬い声で「はい」と応じる。

 

 

 

 なんと電話向こうの声の主は、私が1年分の豆を購入する、豆屋さんのオーナからの直接の連絡だった。毎年新豆が出るとすぐに大量の注文を入れるのに、今年は新豆入荷の知らせも出したのに、まったく反応がないのを気にかけ連絡をくださったのだ。

 

 

「まぁ、ご親切に、ありがとうございます」

ネット注文するだけの客に対しての、豆屋さんの細かな気遣いに驚きながら、ボローニャという街に少し長く滞在し、数日前に戻ったばかりで生活のあれこれをまだ整える間がなかった、と詫びた。

 

 

 

 「お疲れのところに失礼しました。ではもしご注文されるようでしたら後日に」と豆屋さんは電話を切ろうとする。いやいや1年分の豆をそちらに頼っているので、要りような分をまとめたらすぐにお願いします、と応えたら、では夜にでも改めて連絡をいれましょうか?電話でならばネットで注文するより厄介ではないかもしれないし、とおっしゃる。

 有難い配慮をそのまま受け入れてよいのかしらと少し躊躇もしたが、疲れが残る態でパソコン相手に数量を細かに入れるのも大義と、夜に再度連絡をいただく約束をした。

 

 

 

 時遅し、好物の真珠豆の今年度分は、ほぼいっぱいに達していた。もし1袋分でも残ったら回していただけるとのお話に、期待するしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 「今回はたくさんの大福豆と間作大豆を注文されていますが、何か特別にお使いですか?」

 顧客の豆への関心の在処を気にされるあたりが、さすが豆屋さんだ。

 

 旅の乗り継ぎに昨年から使うようになったイスタンブール空港で、どうにも気になった豆とヨーグルトの和え物の話をした。昨年はギリシアヨーグルトに刻んだフェンネルの若葉をただ混ぜただけだったが、今年は何種類の豆をヨーグルトに混ぜ入れ、上に炒ったナッツをトッピングしてあった、この料理を日々の暮らしにも展開したく、ついては間作大豆のサイズと食感が最適と思ったこと。大福豆については、イタリアでまとめ買いする白インゲン豆が今回は上手く持ち帰れず、代替にこの豆をと考えたと説明した。

 

 

 「そのヨーグルトの和え物に、ミントは入っていませんでした?」と豆屋さんが訊く。「トルコ料理にずいぶん詳しくいらっしゃるのですね」

 

 

 おそらく仕事が終わった時間帯だったのだろう、急くふりが感じられないのをよいことに、直接お会いしたこともないのに、電話向こうで話す人の人柄まで察せられるくらい長く話が弾んだ。

 

 

 学校で文化人類学を専攻し、アンカラのスラム地域に長期滞在し、貧困と食との関わりを調査した体験があるそうだ。若い時分の話ですよ、と声は軽やかだが、20年近い時を経て「貧困と食」のテーマを「豆」に結びつけ、それを事業展開されるオーナーの素敵さに感じ入った。

 

 

 

 イタリアの白インゲン豆にいちばん近い味がするのは、大福豆だと辰巳芳子さんがおっしゃっていました。

そうですか、辰巳さんともご親交があるのですね。あの方の『仕込みもの』という本は私のバイブルです。

 

 

 豆への「愛」を吐露し合うひとときは、旅の疲れを忘れさせる充分な妙薬になった。彼女がネット注文されたのをただルーティンでこなすだけの商い人だったら、こんな展開は生まれなかった。注文された商品の向こうにいる顧客のひとりひとりに、彼女は想いを馳せているのがわかる。「豆」を語る言葉からも彼女の丁寧な仕事ぶりが伝わった。定期的に豆についての講習会も持たれている由、暖かくなったらこうした集まりに出向いてみるのも悪くない気がする。

 

 

 

 

 

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 クリスマスにはノノちゃんのおうちに来てね、とビデオ電話で請われていたが、ノノちゃんの妹の発熱で外出はとりやめになった。ひとりで過ごすクリスマス。ステッチで疲れた目を休め音楽を耳にベットでぼんやりしていたら、携帯に素敵なクリスマスメッセージが着いた。年に数回しか伺わぬが、お邪魔すれば、まさにお邪魔となるくらい長居させてもらう服屋さんからだ。

 

 

 

 息子とほぼ同じ歳頃の店主と妙に話が合うのは、興味する服飾世界を阿吽の呼吸で共有し合えるからだ。息子と同世代であるにも関わらず、会えば話は尽きない。

 ベルギーレースを習っていた頃からの友人と、たいがいはふたりで出向き、ベルエポック期のパリの雰囲気を醸す彼の店で、よその人が耳にしたらまるで記号暗号のような会話で半日を過ごす。

 少し前に、ボローニャの蚤の市で買った70年代のボタンを届けた。そんなことでクリスマス仕様の店の様子に自らが奏でるギターの音色を添えた動画の送り相手に、私を思い浮かべてくれたのかもしれない。

 

 

 礼にもならない、でも他に何も思いつかなったので仕上げたばかりのレースの写真を私も送った。

 

 

 

 立体感と躍動感が素晴らしいです。このあいだのイタリア遠征でさらに技術が高まったんじゃないですか?キュッと糸が自然に締まって。植物のモチーフが動き出しそうな、生き生きとして見えます。

 

 

 綺麗ですね、驚くほど細かですね、と評をいただくことはあるが、こんなに言葉を尽くした反応はもらったことがなく、嬉しかった。

 

 

 「Let it Beよね」「はい、あるがままに、です」

 「かまわないで、ほっといて、という意味もあるわよ」

 「いえ、あるがままに、です」

 

 

 明確な世界観と率直な言葉の持ち主と会話する心地よさが、その日の疲れを解きほぐし優しい気分が拡がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パオラからも賑やかな写真つきのクリスマスメッセージが着た。今秋に私たち日本人総出で土地の料理を堪能した、カステル・デル・リーオのオステリアの店主自宅でパオラもイヴの夜を過ごしているようだ。

 

 

 

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「みんなであんたのことを思い出しているよ~」

 

 

 

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 シモーナが手土産に持たせてくれた手作り菓子の素朴な味が忘れられない。数種の果物を煮詰めたジャムに似たモスタルダというもののタルトとビスケット。ポルチーニと栗の季節でレストランには続々とお客が訪れるような繁忙期に、いつこんな心のこもったお菓子を作ってくれたのだろう。ビスケットは、子どもの頃に口にしたマリーのビスケットを思い出させた。これが私たちの土地の味よと胸張って伝えられるのが、羨ましい。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョルジョは子供たちの写真とイヴのヴェネツィアの茜色の夕暮れを伝えてくれた。

 

 

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 家族たちと過ごすイヴの夜に、私を想ってくれた人たちが私に優しさを注ぐ。であれば私はあなたに、想いをどう伝えられるのかしら。優しさが伝播することはないのかしら?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし私たちがお互いに手と手をつなぎあうならば、奇跡は起こり
       クリスマスは一年でいちばん特別な日だけれど
毎日がそういう特別な日になるだろうに
(Gianni Rodari)
 

 

 

 facebookに教室からのクリスマスメッセージが載った。特別に設えられた額におさまるパオラのレースにジャンニ・ロダーリのメッセージが添えられていた。パオラのレースは15年ほど前のものだ。このレースを最初に見たとき、ニュージランドで見つけた南北の逆転した世界地図が思い出され、以来この図案の説く意味が気になっていた。

 

 

「どちらにも組さない自らの立ち位置」の象徴として、パオラはこれをデザインしたそうだ。「中道」とか「「中立」という言葉は、問題をうやむやに処し逃げ腰の風を感じることもあるが、すべてに平らかな姿勢を保つということは、容易ではない。平らかでないから差別が生まれる。

 

 

 

 部屋でステッチするだけの私が想いを伝えられるのは、アエミリア・アルスに拠るしか他にない。

 そう思い至ったとき、教室での私へのパオラの苛立ちが、初めて腑に落ちた。いくら風邪薬で意識が霞んでいたとしても、あの日の私はただ漫然とステッチしていた。機械的に針を動かすだけの私が、パオラにはどうにも認められなかったに違いない。彼女のステッチに込める想いを、私は理解しなければならない。