年末からの孫たちの騒ぎを想うと、それまでにはどうしても仕上げたかった図案のふたつが、数日前に終わった。どちらも今秋ボローニャの教室で取り組んだものだ。

 

 

 

 私の居室をアジールにする2歳児が、ベットに上がり込みYouTubeで『はらぺこあおむし』を観たい、ついては横に来て背中をトントンしてとか言い出したら、もうダメだ。玉留めをせず、わずかな目数を重ねることで糸を延々と継いでいくAemilia Arsは、複雑な図案になると、まずやり直すのが不可能だし、糸替えの予定地を失念しステッチを続けてしまうだけで、大事に至る。家内の空気がわさわさする間は、潔くステッチの手を止めるに限る。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨年の滞在では大きく体調を崩したからと、今回はずいぶん健康に配慮したにも関わらず、後半にパオラの風邪がうつってしまった。週のほとんどを傍らで過ごすのだから仕方がない。日本から携行した風邪薬はよく効くが、とにかく眠くなる。11月になり暖房が入った教室は、みなが暑がるほどパオラが高めの室温に調節してしまう。おそらく疲労の蓄積で筋肉が硬直し血流が悪いからだろう。そうでなくとも薬のせいで眠い私は、暖気に誘われた睡魔で針が指から転げそうだった。

 

 

 

 

 作業に集中できないものだからあちこちで刺し間違い、解いてはやり直すを繰り返した箇所がある。見かねたパオラが手本を示してくれるが、速やかに理解できない。ようやくcordoncinoをするまで辿り着いたものの、ボロボロに解れた糸に腹を立てたパオラは、糸替えを指示し私の横を離れた。いつもならば簡単にやりこなすその糸替えで、またしくじった。散々な午前中のレッスン。午後にもう1枚の葉を仕上げるまで、目も合わせようとしないパオラの様子に、ぎりぎりの気力まで削がれていくようでひどく堪えた。

 

 

 

 向こうで刺したものを家で見直せば、前半に取り組んだ花束の方はそのまま仕上げてもよく思えたが、パオラの叱責下で刺したものは、悲しいほどステッチが萎縮していて、作業を続ける気分の代物ではなかった。となれば期日は気になるが、すべてをやり直すしかない。

 

 

 

 家主の長期の留守をいいことに、庭のサザンカの枝下にスズメバチが結構大きな巣を作っていた。それを駆除してもらう騒ぎもあり、結局針を手にしたのは帰国後1週間経ってから。教室での緊張と集中を手と身体が思い出すには、時間が経ち過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室はボローニャのラウンドマーク、2本の斜塔のすぐ傍にある。ガリゼンダが低い方の塔で、それより50mほど高く498段の階段を実際に登ることのできる塔は、アジネッリという。12世紀に完成したこれら斜塔の、ガリゼンダが路線バスの振動で倒壊する恐れがありとなり、10月半ばから調査のため一帯の路線バスの運行が止められ、一般車両も通行できなくなった。

 

 

 私のように歩いて教室に通えるものはわずかで、ほとんどが電車やバスを使う。私が指導を受けるパオラはイモラから30分電車に乗り、ボローニャ駅から教室まではバスになる。街郊外の山の方に住むもうひとりのパオラは、家族の都合で昨年から孫の世話も加わり、昼時間に時折教室と家とを行き来しなくてはならない。

 

 

 駅から教室まで歩けばゆうに30分はかかる道筋を、80歳を過ぎた指導者ふたりが週に3回も往復しなくてはならなくなったのだから、その負担の度合いは相当だったに違いない。

 「そうやってはいけないといっているでしょ」いつもは穏やかな教えぶりのもうひとりのパオラが、珍しく声を荒らげたのが隣室に響いた。

 

 

 観光で古い街並みを愛でるのはよいが、斜塔の倒壊不安は、日々の暮らしをそこで営む大義を実感する出来事だった。あの大規模な通行止めは、いまも続いているのだろうか。通り沿いの商店からは、売り上げに影響が出たとの苦情が続出していた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月曜、火曜日クラスの半数ほどが麦粒の図案に取り組んでいた。麦粒を刺すまでに至らない生徒たちは、正方のバラのドイリーだ。女優をめざししばらく教室に姿がなかったアリーチェは、初歩のバラのドイリーを刺している。ヴェラはスズラン模様の扇を仕上げひと息つきたいのか、新しい図案を手におしゃべりばかりしている。作業するのは教室のみと以前から宣言している元高校教師のセレネーラは、枠へのステッチをいつもの通りのんびり刺している。

 

 

 お洒落なエリーザは赤味の強いピンク色の布に、同色の糸でステッチしたものをKIMONO風な服に縫い付けるそうだ。「この色、私は好きなのに、パオラは嫌いなんですって」小声で話したのに耳聡いパオラはすかさず、「そう、そんな赤は嫌いだよ」と部屋の向こう隅から声をあげた。エリーザは肩をすくめウィンクをした。

 

 

 昨年は抗ガン治療で髪が抜けスカーフを巻いていたシモーナの頭髪には、つややかで素敵な色合いの髪が戻っていた。フィレンツェから通うマリーナが、ある日手作りのカントゥッチにご主人作というヴィンサントを添え抱えてきた。こうなると昼前からヴィンサントを紙コップに注ぎ、みなでカントゥッチを浸し食べ始める。率先してヴィンサントの栓を抜いたパオラが、「美味しいカントゥッチだねぇ、マリーナ、レシピを教えて」と言い出せば、すぐに教室は料理指南所に様変わりする。

 

 

 もらったレシピでマリーナのカントゥッチを再現す暇を、私も早く持ちたいものだ。おそらくあとふた作かしら。

 

 

 

 土曜日クラスは、平日に仕事を持つ人たちが通う。隔週だが、午前と午後、昼休みも短縮して夕方遅くまでレッスンが続く。ロージーが遠くから来ているのは知っていたが、黙々とステッチする彼女にめったには話しかけられない。ちょっとした暇に、どこから通っているの?と訊いたら、マルケ州の小さな村からだ、という。マルケを知っている?と問われ、以前セニガッリヤにマリオ・ジャコメッリの足跡を訪ねたことがあると応えた。

 村で旅行代理店を営むロージーは、ステッチするのは昼休みだけだそうだ。片道2時間半かけて通うのだから、ずいぶん朝早くに家を出るのだろう。レッスンが終わる頃には彼女の目は、いつもまっ赤に充血している。

 

 

 

         
 

 

 

         

 

 

 

 

 

 ひと月半の滞在の最期のレッスンは火曜日だった。言葉数が少なく、けっして大声で話すことのないアントネッラに、帰宅の道すがら偶然出会ったのは前の週だ。広場を横切りながら、本当に美味しそうにタバコの煙を吹き上げていた。私の姿を見留め、あらっ、とわずかに表情を崩したが、タバコをくわえたまま手を振り去って行った。私は私で、気配を感じさせないほど静かなアントネッラの、根詰め作業から気持ちを解く様を垣間見て、なぜか得心した気分になった。

 

 

 

 前の週に広場で偶然出会ったことが、私との距離を近くさせたようだ。珍しく私の作業を彼女がのぞき見るので、私も彼女の取り組む大きな図案をしっかりと見せてもらった。ドレスの大きな襟になるそうだ。結婚衣装みたい、というとなぜか薄く笑った。

 「どのくらい前からやっているの?」「覚えていない、、、」確かに最近の教室ではブルーシールを使うが、彼女の図案はハトロン紙、結構な時間取り組んでいるのがそれからも想像できた。

 

「それは日本に持ってから、早く仕上げなさいよ」私たちが会話するのを目にしたパオラがアントネッラに告げるが、彼女はパオラの言明もさして意に介さない風だった。このマイペースぶりが、彼女の手技の落ち着きに繋がっている気がした。

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 2年間聴講生としてプリーモ・レーヴィについて学ぶために指導を仰いだ方が、12月18日に亡くなったと知る。プリーモへの関心はその後ヴェネツィアでジョヴァンニ・レーヴィとの親交に結びついた。ジョヴァンニの史観に深く影響を受けた。レースへの精進もその影響の延長にあると常に胸にある。プリーモとジョヴァンニへの学びがなかったら、夫の身に起きた医療過誤という出来事の沼で、今も私はあがいていたに違いない。そういう意味で18日に他界された方との縁は意味深い。私と同い歳だ。