旅に出るまであと少し。荷物の集荷依頼も連絡した。抜かりなく旅の準備をこなしているようで、どこか判断に危うさがつきまとうので、後先変更できない事柄を優先せねばと言い聞かせつつ、出立前の諸々をこなしている。

 

 

 

 機内持ち込みの荷物はほぼレース関係だけだ。ロストバッケージの憂き目にあったら到着の翌日から始まるレッスンも覚束ないし、預かったみなさんの労作が彷徨うことにでもなったら、もうお詫びのしようもないのだから。

 

 

 

 昨年11月にボローニャから戻ると、すぐに手ほどきされたものを復習い始め、その手順を確認したところで新たな図案にとりかかった。先日荷造りしていてこの1年弱に刺した図案を数えたら、大小はあるが17枚並んだ。10ヶ月間に17枚ということは、ひと月に1枚以上刺したことになる。ちょっと自分でも驚いた。

 

 

 今月末にホワイトワークの展示会に参加するブログ友が、細かな作業を「心が折れそう」と言い表しておられたが、それがずしんと心に届いた。「折れそうな心」をだましだまし、1粒9㎜の麦粒や葡萄の葉脈を刺した時間が蘇る。

 

 

 

 

 17枚目の図案は、パオラのデザインではない。込み入った縁を刺す手順をもう1度確認しようとこの図案を準備した。ずっとステッチの手順を追いかけるだけの日々だったが、最近は補足すべき知識が見えるようになった。

 パオラたちよりひと世代上の時代のこの図案を刺してみると、今更のように紙面を躍動するパオラのデザインの意図を痛感する。彼女の手になると花も実も葉っぱも蔦も、命の賛歌を纏い踊り戯れる。

 

 

 

 

 上が最近私が刺したもの。確かにゆったりした時代が伺える伸びやかさがある。下の図案はパオラのデザイン。1年前から私のところに通ってくださる方が現在刺しているものだ。この図案のラインを追うだけで、自然界の息づきに取り込まれていく。わずか1年でここまでこのレースを刺せるようになった仲間がいることが嬉しい。私より歳下の人たちが、今後このレースの日本での展開を担ってくれるのを切に願う。

 

 

 

 ブログを書き始めて何年が経つのだろう。

Aemilia Arsを日常的に共有する交流が生まれたのも、ブログのお陰だ。

 

 

 

 11月に京都でインドネシアのイカットを中心に、素晴らしい展示会を持たれる方もブログで知り得た。『ものいふ布たち』とタイトルされたその企画では、メインのイカットに加え、久留米のお城絣や日本刺繍を施された半襟や筥迫の展示も加わると聞く。

 

 

 

 その方がお城絣を紹介され、絣に夢中になった頃が蘇った。30年も経つだろうか、郡山に三瓶清子さんとおっしゃる絣の収集家を訪ねたことがあった。広々した座敷が連なる空間に配された時代箪笥に納められた素晴らしい絣を、思う存分手にとらせていただいた。

 

 

 

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 お城絣は、娘が嫁ぐ際の布団表として作られた。面積を占める夜具は日常にありながら、格好の展示物だったに違いない。

 北国豪農として名を馳せた伊藤家の館、大呂庵に泊まれば絵絣ではないが、素晴らしい筒描きの夜具に包まることができる。夕食を終え部屋に戻った私たちは、部屋いっぱいに広がる藍の世界に思わず息をのんだ。

 

 

 

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 同じくブログを拝読させていただく方で、藍の古布を手縫いされ、愛らしいものを作られる方がいる。その方の作品を眼にする度に今一度私も藍の古布で何かを作ってみたいと血が騒いだが、もうきれいさっぱり作りきってしまい、何も手許には残っていない。

 

 

 

 ウィルス禍をきっかけに外出しなくなったからだろうか、最近何を纏えば私らしくいられるのか、皆目わからなくなっていた。それでも出かけなくてはならないときに、いちばん出番があったのが古い布団生地や風呂敷布を継いで作ったスカートだった。そうだ、もう1枚同じようなものを作れば、長く便利するかもしれないと思いついた。

 結局絣でこしらえた上下を壊すことにして、ああでもない、こうでもないと型を思案していたら、三瓶さんのことを思い出した。

 そうだ、ご自宅を辞するときに頂戴した絵絣がある。書生絣にあの絵絣をはめ込んでみよう。

 

 

 

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 スカートのギャザーの分量を思案していた日だった。プリンターのインク交換をしたら、暑さで緩んだインクが履いていたものに垂れてしまった。すぐに手当をしたが、どうにも色が落ちない。30年も着てきたのだから、もうこのままで着古すしかないと諦めた柿渋染めを、ふと思いついてザクザクと絣の合間に挟み込んだ。

 出雲絣の青戸柚美江さんが紡がれた柿渋染めを切り接ぐのには少し気構えが要ったが、染みを気にして仕事着にするよりよかったのではないか。どれだけ年月が経とうが青戸さんの居ずまいのように、ふっくらした愛着の裂を新たな形で纏えるようになったのが、嬉しい。

 

 

 

 襤褸という言葉がある。恥ずかしいことにずいぶん大人になってからこの言葉を覚えた。あるときパリで、日本のボロ布を継ぎ合わせた衣装がお洒落ともてはやされた時期があった。そのテーマが「襤褸」だった。

 ボロを継ぎ合わせたものを纏っていると、たまに褒められたりする。「着手がボロだから、何だか落ち着くのよね」と笑いを取ったりするが、ボロ好きの原点を辿ると、私の志向を両親が尽く「役立たず」と謗ったことに行き当たるような気がする。

 

 

 

 

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 ボローニャで習うべき手順の準備を終えた翌日、まず松濤で杉本博司氏『本歌取り 東下り』を観た。そこから銀座の教文館にまわり、出久根育さんの原画展を観て、彼女のエッセイ集を買った。まともに本を読まず長く過ごしてきた頭には、静けさが漂う出久根さんの文言が馴染むような気がした。加え大西暢夫さんの連載が始まった季刊誌『うかたま』も買う。

 古裂同様、大西さんの興味の対象や書かれるものには、いいようもなく心が馴染む。

 

 

 

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 さてこれで荷物もすべて揃ったと思った昨日、郵便やさんがボトンと大きな音をたて、何かを投函していった。大きな投函物は何だろうと、ポストから引き出したら、刊行されたばかりの『音楽と思索の廻廊を』を著者が送ってくださったのだ。

 初出は新聞のコラム。2017年から今年6月までの記事をまとめたとある。2017年といえば私がAemilia Arsを習い始めた年だ。そして数日したら向かうボローニャは、廻廊の街。なんという偶然なんだろう。あちらで音楽を聴くように一篇ごとを堪能したい。

 

 たくさんの方の温かな心遣いのお陰で、充実したよい旅が出来そうな予感がする。

 

 ありがたい。

 

 

 

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