友人がメキシコ人ピアニスト、ラファエル・ゲーラの演奏会に誘ってくれた。

ゲーラ氏は奥様が日本人ということで、日本でも活動され多くのお弟子さんを持たれている。音大出身の友人もゲーラ氏を師とあおぐひとりで、彼の万華鏡を見るような多彩な音色に心酔している。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 夫とふたりして、このなんともいえぬ柔らかで豊潤なゲーラ氏のピアノを堪能したのは、世界が業病に席巻される前年だった。終演後出口の際で待っていてくれた友人夫妻と短く言葉を交わした。あれからまだ数年しか経っていないというのに、私の夫はすでに亡く、まだ働き盛りという友人のご主人も、重篤な病の床にあると聞く。

 

 

 

 「いろいろな事が重なって、いまヘロヘロなの」と愚痴る私に、「私も!ヘロヘロ同士でお会いしましょう」と軽妙な語り口が返ってきたが、華奢で小柄な彼女の体躯のどこに苦難に抗う強靱さが潜んでいるのだろう。何かと啓発される大切な存在だ。

 

 

 

 

 

 ワルツを主軸にマズルカやサラバンドが配され、様々な3拍子に解かれた心地に、アンコールの『シェリトリンド』が染み入った。

 

「iAy iay! iay iay icanta y no llores Porque cantando se alegran, celito lindo corazones」

 

 素敵なプログラム構成だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲーラ氏の小柄な背格好に不釣り合いな巨大な手と太い指に目が吸い寄せられた。ブレンデルが、10指すべての指先にバンドエイドのようなものを巻いてリストの『巡礼の年イタリア』を弾いたことがあったが、ゲーラ氏の指はそれをはるかに越えて太く見えた。ブレンデルのテープを巻いた真意はわからないが、あのリストの音色は美術館を巡るような感触だった。

 

 

 

 ゲーラ氏のピアノの柔らかくも自在に変様する色合いは、この太い指から生まれるのかしら。生の演奏に接する楽しみに、思わぬ発見が加わった。

 

 

 

 

 ピアノの旋律が帰路でも波のように蘇る。ラファエル・ゲーラはピアニストとしていま黄金色の円熟期にあるのだろう。

 

 

 

 この夜初めて聴いたトビュッシーのマズルカがショパンのマズルカを思い出させ、そこにひとりの老ピアニストが重なった。不本意な演奏結果に舞台で立ちすくむこの老ピアニストの様子が報じられたのは、つい2週間前のことだった。