あさっての月曜は啓蟄、温んだ大気に誘われ猫の額の庭に出た。何かとすぐに腰が痛むから、草取りするにもその日の量を決め、少しずつこなすようにしている。でももう少し季節が進むと、草の成長が早まり庭を一巡した何日かあとには、最初に草をとったところに新しいのが顔を出してくる。疲れていたりすると、他に頼る手のない独り暮らしが、こんな些細なことで妙にせつなく感じられることもある。
 
 

 枯れ草の下でお初の蕗の薹を見つけ、さっそく天ぷらにした。剪定も摘果もしないので金柑は小粒極まりないが、少し酢を加えシロップ漬けにした。これをゴルゴンゾーラに添えたら、マーマレードや蜂蜜より酸味と苦みがある分、複雑な味が楽しめた。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 先日、運動がてらに知り合いの元農家まで30分歩き、蕗の薹を摘ませてもらい、蕗味噌にした。室町期から続く家で、先代が亡くなった際にずいぶん耕作地を片付けたというのに、まだまだ持て余すほどの田畑がある。

 

 その一角に先月は5歳の孫と一緒にジャガイモの種を植えた。昨年は子供たちからひんしゅくを買うほどの豊作で、贅沢な話だとブツブツ反論しながら、一個も廃棄しない、を心がけ消費し尽くした。冷凍保存したジャガイモ餅は、パンを作りを忘れた朝に重宝する。焼いたジャガイモ餅とスライスチーズを海苔で巻くと、孫たちは喜び、ストックが減ると私も嬉しかった。

 

 

 

 

 

 今年植えたのは、3品種、15kgの種芋で、1時間ほどの作業で済み厭きやすい幼子にとっても、ほどよい農作業だったはず。6月になったら堀りたてを蒸して食べようね、と声かけしたら、「違う、ポテトチップスにするの」と返された。ジャガイモは主食の代替物と認識してきた私と、ポテトはポテトチップスの素材でしかない孫とでは会話がかみ合わない。どうもチップスにするのだから、たいした量は必要でなく、何故にこんなに植えるのかと孫は作業に手を添えながら考えていたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これから初夏までの数ヶ月は、野良遊びするのも楽しいし、店頭ではあまり見ない素材が庭で次々に採れ、季節を堪能出来る。蕗の薹の横で、甘草が3cmほどに若芽を伸ばしていた。10cmくらいに育ったら、湯がいて酢味噌仕立てにしよう。山椒の若芽もトゲで手指がチクチクするのは嫌だけれど、佃煮は美味しい。アケビの新芽と実山椒はほぼ同じころの仕事になる。アケビはもっぱら茹でてオリーヴ油と醤油で食する。子どもが一緒の頃は、苦みを出さぬように天ぷらで蕎麦などに乗せていたが、もうそれは昔の話。早緑色の山椒の実は、軽く塩茹でして冷凍にする。好物の山椒ご飯が食べたくなったら、炊き上がったご飯に塩とそれを混ぜるだけだから、すぐに出来上がる。

 

 

 摘み草や山菜は手にすれば、いくらでも料理を思いつくのに、孫たちが喜びそうな料理を作ろうとすると、手順さえうろ覚えになってしまった。スパイスをいろいろ配合してカレー作りに励んだ時分もあったはずなのに、もう使った香辛料の名前すら思い出せない。

 

 

 

 いっときレース作業に集中し過ぎて頭がホールドアップしたのか、何を次に刺すのかをしばらく決められないでいたが、数日まえから新しい図案に取り組む気構えが整い、針を手にした。初めての試みとして今回は、3つの図案を同時に刺してみよう。

 秋の渡伊の準備も進んでいる。アパートも借り、航空券の手配も済んだ。今までのように、ひとつずつ図案を仕上げていく次第だと、帰国して、さぁ、次に新たな図案にとりかかろうとする段で、教室では気づかなかった細かな箇所での、直でなくては解決できない糸運びに直面し、立ち往生することを何度も経験した。

 であれば、いくつかの図案を刺せるところまで刺して、秋の教室で集中して問題点を訊こうと思いついた。いずれにせよ大物な図案ばかりで、どこまで刺せるか心許ない。でも世界情勢や自身の健康を思うと、いつ教室通いができなくなるかもしれず、とにかく刺し進むしかない。

 

 

 

 先月のパオラの誕生日のレースグループのメッセイージサイトは、終日祝福の言葉で溢れた。中で79歳のもうひとりのパオラが祝辞に続け「e avanti tutta !!」と投げかけると、83歳になった当のパオラが「ci provo !!!!!!!!!!!」と応えたのが、ずしりと響いた。

 

 すべてに前進!

    おぅ、やろうとも!!

 

かな。彼らのエネルギーに乾杯?完敗?

 

 連れ合いを見送った2年後の2017年に、パオラは毎年の3倍くらい大量のレースの図案を描いている。レッスンが終わりふたりだけになった教室で、戸棚に資料を仕舞いながらのパオラから、問わず語りに洩れた言葉を思い出す。

 

「2年前に夫が亡くなってね、、、でもまぁ、なるようにしかならないものよ、人生は」

一瞬曇ったようにも見えたパオラの面差しは、戸棚の扉を閉じたときには、もう笑んでいた。

 

 

 

 レース技術以外にも彼女から学ぶものは、たくさんある。

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 昨年の11月の帰国後、なかなか体調が整わず、常飲する発酵飲料作りや地元産ハナマンテンでのパン作りにどうも気が乗らず弱っていたが、これらを作るルーティンも整ってきた。ボローニャでの法外なレース修行の疲れから、やっと抜け出せたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 1枚の図案を刺し終えたら、次の図案にとりかかる。そして次にまた。その繰り返しの中で歳老いていく。今が覚悟のし時なんだ、そんな気がしないでもない。