夫が逝って今月で1年。もう1年ですか、時が経つのは早いですね、と言われるが、病室と自宅を行き来する間に、階段を踏み外し転げたように傷み老いた身体に驚くばかりで、それが月日の流れる早さにつながるのかは、わからない。

 

 

 

 勝手に「輪舞」と呼んだ図案にステッチを4度も試みる羽目に陥り、年末からアエミリア·アルスに没頭していたが、しばらく前にそれにも一応の決着をつけた。

 

 

 

 

 忌日の集まりは、もし当日が雪降りであれば厄介だし、だれかがインフルエンザに罹患するかもしれずと、ひと月前の夫の誕生日近くに済ませておいてよかった。予測どおりというか、ひとしきりの雪が忌日直前に降ったのだから。澄んだ青空に透ける蝋梅の花弁をいつも愛おしくしていたが、雪化粧した蝋梅も小袖の意匠の風情で、見入ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この蝋梅が咲く玄関横に、最初夫は柊を植えた。それを蝋梅に替えてもらったのは私だ。とにかく草取りするに柊のトゲが髪に絡んで困るからと、植え替えを頼んだのだった。以来花期になると家を出入りするたびに、鼻腔いっぱいに梅の香がひろがり、植え替えしてよかった、とふたりして喜んだ。

 

 

 

 

 梅の香が佳人の姿を誘うのは、和泉式部の語りに重なるからだ。謡いで好きな曲はと訊かれると、必ず『東北』と応える。毎月のように能楽堂に出向いていた夫は、どちらかといえば物語性溢れる演目を好んだ。だからか、ふたりの会話が能に及ぶと、『東北』のクセを舞う小面の遙遙した様が好きだという私に、『東北』はありふれた演目でしかない夫は、言葉を継げず、いつも不可解そうな眼差しになった。

 子どもが生まれてからはろくに能楽堂通いもしないのに、楚々としてどちらかといえば物語性の薄い曲を一番に挙げるのが、夫にはわからなかったのだろう。そう、光源氏の恋人たちの中で好きな女人はとなれば、花散里だと応えると皆が驚く。両者に相通じる感覚が、私の中で作用するのだ。老境に入らなければ味わえぬ感慨もあることだし。

 

 夫も 世界の叙事詩に目を向けるようになると、「物語」が創出される背景に頻繁に疑問を投じていたが、そうした事はさておき、やはり最期まで根っからの「物語」好きだった。物語好きの御仁は、自らの命についても多々物語を遺し逝ってしまった。

 

 

 

 

 

 ブログを通じ知り得た方が奥様と一緒に、この苫やを最近訪ねてくださった。そこに旧知の友人が、ふとしたきっかけで食卓に加わることになったのだが、会話が弾む内に、ご夫妻と彼女がほぼ同じ歳だとわかる。

 

  友人は、働き盛りだった連れ合いをすでに亡くしている。その連れ合いとも、うちの次男が産まれる以前から交流しており、みんなでよく酒席を楽しんだものだ。つまり知り合い同士が結ばれたわけで、結婚まえの彼の書いた恋文もどき「大恋愛小説」さえ読まされたのだから、と夫は彼らふたりについて話が及ぶと、必ずその「大恋愛小説」のことを持ち出した。

 

 病が判り半年も経たず内に、彼は逝ってしまう。7年半まえのことだ。

 

 

 

 

 

 無事に帰宅したと彼女が知らせてきた。一緒した夫妻への礼のあとに、彼女の率直な思いが短く記されていた。

 

 とても素敵なご夫婦で。あんなふうに共に穏やかに 歳をとりたかったなあ、

 と思いながらお話しさせていただきました。

        

 

 あぁ、快活に会話していた胸裏で、こんな思いを彼女は去来させていたのだ。切なかった。夫婦の「余生」が彼女には、ひとつも許されなかったわけなのだから。稀代な「夢語り」者だった彼が、夢の数々を着実にやり遂げる途上で倒れたのだ。どれだけの夢が果たせぬままだったのか。

 

 思えば若い時分の彼らも私たちも、なんと晴れやかに笑っていたのだろう。今さらのようにその声が蘇る。

 

 歳を重ねるということは、人の悲しみを思い知ることでもあると気づかされた。