3度目の試みになる麦の図案を仕上げた。だまし欺し根が続くようにと気配りしていたが、些か厭きた。手に取り眺めれば反省しきり後悔ばかり眼につく。自分の悪手を恨むしかない。でもここ辺りで無念の矛先を収めなければ、次に進めない。
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 パオラにステッチの報告をしがてら、持ちかけるつもりの話を抱えている。今すぐにも、とはやる気持ちを抑え、この麦と年頭から取り組んだ花の図案、その2枚を見てもらうタイミングで話そうと考えている。
 
   先週から今季の教室が始まった。真冬の、たまに降雪情報もある中、自宅のあるイモラからボローニャまで電車で30分、ボローニャ駅から教室までキャリーバックを引きずり徒歩30分の移動を、今月で83歳になるパオラは週3回もこなす。
  加え教室開始直後は、新しい図案を皆に手渡したり、冬休み中に生徒が取り組んだ図案に間違いがないかを点検したりで、先生たちはひどく慌ただしい。そこに込み入った話など耳に入れたら、パオラは疲れるだけだ。彼女の心身にゆとりが感じられる頃に話すのが、無難に違いない。
 
 
 
 
 であればれ花の図案の方は急ぐこともないのかもしれないが、そういうことでもなく、抱える課題は積み上がっている。新しい図案を習えば必ず詳細な記述を残してきたが、それが最近は1,2枚の図解解説で収まるようになったことに気づいた。そんなことが、私の小さな慰めなのだ。
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 花を囲んだ19枚の小さな葉が踊っている。レ-スが踊っているように感じるのは、私だけかもしれない。音楽を聴いて絵が浮かんだり、物語の行間から音楽が聞こえたり、共感性というやっかいな質がいつも私を振り回す。
   アエミリア・アルスの何に惹かれるのかと問われれば、結局このレースから溢れ出る「命の力」に心底参ってしまったと応える。レースに「命」を感じるなど云々するのも、また共感性のしわざなのかもしれないが。
 
 
 輪舞(ロンド)と勝手に名付けたこの図案。私のステッチではまだ葉が踊ってはくれていない。今度こそロンドが聞えるよう、もう1枚刺してみることにする。
 
 

 

 

 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 妹の自死から始まった耳鳴りが、静けさの中でもとりたて気にならない日もあるが、どうしてもとなると音楽をかけ凌ぐ。最近のお気に入りはアイルランド歌謡だ。
  The Dablinersのバ-ニー・マッケンナやCeltic Thunderのジョージ・ドナルドソンを繰り返し聴いていたら、無性にアイリッシュ ウィスキーが飲みたくなった。
 
 

 

 

 
 
 

                  

 

 I wish I had sameone to love me ・・・ I'm weary of being alone
 
 
 
 
 
 
 こんなラヴソングを外つ国のパブで耳にしたら、きっと私は溶けてしまうかもしれない。
 
 「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」とジョイスはいったが、アイルランドとは、どんなにおいに満ちた国なのだろう。