枠に張った布に待ち針でレ―スを仮止めする作業を前日に終えている。今日はそのレ―スのひと目ずつを針ですくい布に綴じつける作業が待っている。

  午後にはダリアが昨日の私と同じ枠に布を張る作業をする。ふたりして四方1mある枠を教室で広げるのは気がひけるので、昼までにレースを綴じつけてしまいたい。





  借りているアパ―トから教室までは歩いて10分ほどの距離だ。先生が着くあたりに教室に行けば、少しは早くに作業が始められる。

  ところでイタリアの電車はよく遅れる。先月のヴェネチア行きでは往路が50分、翌日先生たちとボロ―ニャに戻るフレッチャロッサは55分遅れた。電力トラブルが原因と後で聞いたが、10分くらいの遅延は日常的にある。







  いつもならば誰かしらが教室にいるはずなのに、ベルを鳴らしても応答がない。電車が遅れたのだろう。中から応じてくれないと建物に入れない。大きな扉の前にしばらく佇んでいたら、これでもう後戻りできないな、と教室のベルを初めて押したときの怯えに似た5年前の心地が蘇る。







 ちょうど住人が出てきたので、建物に入り教室前の石段に腰掛け先生たちを待つ。程なく現れた彼女たちには一様に早くに着たねの顔をされたが、そのおかげで綴じつけ作業は昼直前に終わった。





 小さなレースを布付けするには枠を使う必要はないが、ある程度大きな布にレースを付けるには、布を弛みない状態に準備する必要がある。 今後に備えて、この枠の使い方を覚えそれを持ち帰るのも、今回の目的のひとつだった。







 枠を持ち帰るに必要な費用を知ると教室の誰もが驚いた。それでなくても1mを超す長さの重い物をトランクと共にひとりで持ち帰る訳で、日本では見つけられないのかと訊かれると、パオラがすかさず横から口をはさむ。


  より使い易くするよう従来の型に、7年前に他界した彼女の夫が手を加えたのがいま教室で使う枠で、当然他で見つかるはずはない。パオラの自宅には枠を乗せる作業台もあった。それもご主人の手作りだ。この台で他のパオラもロザアンジェラもフランチェスカもどれだけ作業をしたことか、と語るパオラの顔は誇らしげだ。





  黙々と針を動かすパオラのAemilia Arsへの情熱を、一番に理解していたのはご主人だったのだから、彼女が夫との暮らしを愛おしむ心情はこうした道具からも伝わってくる。








  その枠のひと組を、私は今回無償で分け与えられている。昼前に終えた作業を確認しながら、パオラは私に言った。





    沢山の出来事があったのだからいままでは仕方がない。日本に帰ったら、とにかく落ち着いて作業をすること、それを心しなさい。




   


  Aemilia Arsの 名手と知られていたアントニ-ラのレースに出会った瞬間、これが自分の求めていたレースだと直感し30年続けたトンボロを投げ出し、パオラがAemilia Arsを学び始めたのは60歳の時だった。すでに高齢だったアントニ-ラの高額な週いちの講座にも通った。その火曜日の講座を終えた翌々日の木曜日に、アントニ-ラは94歳で亡くなったそうだ。英国女王のような話ね、私の言葉にパオラが大きくうなづいた。





 日本の私のまわりでAemilia Arsの仲間が広がりつつあるのは、すでにパオラに伝えてある。そのひとりの広島在住の仲間、というよりあの干し牡蛎を渡してくれた仲間という方が彼女にはよく伝わる。


 その広島の仲間がふたつ目の基礎図案が仕上がったからと送ってよこした写真をパオラに見せながら、この仲間が貴女に会いたがっていると話すと、あと少しで私は83歳だよ、来年などひっくり返っているよ、と笑うが、私の次回ここに来るのはいつと訊く教室仲間には、「来年だよ」と私が答えるより前に応じてしまう。




 疲れを知らない、というよりは愛してやまないAemilia Arsに関わりつつ、翌々日には息絶えたアントネニ-ラの生き方がパオラの脳裏にあるのだろう。







 金曜日にはまたパオラの自宅での個人レッスンがある。後も土曜、月曜、火曜日と教室は続く。今日はImolaまでの電車のチケットを買う帰りに市場に立ち寄り、食材を揃えパオラに喜んでもらえる料理を作りパオラと最後の食卓を心行くまで楽しもう。何せワインつきのレッスンなのだから。