回廊が廻るボロ―ニャの街から、水と空が混在する街に降り立ち、その景色に期せずして誘われてしまった。明日のPalazzo Mocenigoでのレ―スのデモストレ―ションのための準備だけでなく、Mestreの友人宅で今夕を過ごし、駅前ホテルに泊まる用意まで入れたリュックの重さも忘れ、当たり前のようにStrada Nuovaを歩き始めてしまったのだ。
初めてこの街に着き数日を過ごしたホテルの前を過ぎる。あれから16年だ。何となく好きだった古い炭屋という名のbarも、まだ橋のたもとで商いを続けていた。ひとつのカバンを長いことジロジロしたものだから、店主に「デザインを盗む気か」とどやされるた店は、安っぽい下着屋に変わっていた。
初めてAemilia Arsを習いに出た年に、ジョバンニと偶然出くわしたcoopの前で、思わず店内を覗いてしまった自分が可笑しい。
レ―スを習い始めた君に、とレ-ス模様の古いヴェネチアガラスの小瓶をくれたとき、来年には80だよと笑った彼は84歳のはず。メキシコ、ドイツ、アメリカと世界を忙しく講演して回って、日本だけがボクを呼んでくれないといつも冗談めかしていた。
ウィルス禍、戦争といま世界が向き合わされる困難の中、あの4万冊の本に囲まれた空間で、彼は何を思い巡らしているのだろう。
いくつもの橋を渡り日陰のない道を進んだら、さすがにリュックの重みが堪え、汗が流れた。
リアルト橋を渡らず、手前でトラゲットして市場に降りた。
朝の商いを終った魚屋の生臭さが漂う中、八百屋が荷を片付けていた。懇意にしていた八百屋のひとりと目が合うと、一瞬彼もあれっと、表情を歪ませる。古物商でもある彼の連れ合いならば、私のことを覚えていたかもしれない。
ダニエルホテル前で待ち合わせていた知り合いに近くのbarでスプリッツをご馳走になり、おしゃべりをする。
広場で歓談する人誰もがオレンジ色の飲み物を飲んでいる光景を見て、あれは何だろう、と夫とずいぶん不思議がりながら会話したあのスプリッツを、今は当たり前のように味わう私がいる。
明日の分含めたヴァボレットのチケットを買う辺りから、雲行きがあやしくなった。ジュデッカ島のギャラリーCASA DEI TRE OCIに向かう。波が高く足元がおぼつかないくらい船が揺れた。
翌朝にMestre駅前のホテルを出て、再びS.Luciaの駅に向かう。昨日の陽光に照っていた大運河は嘘のように鈍色にうねっている。明日はacqua altaだとトラゲットの水手がいっていたが、まさにそうしたにおいが満ちている。
ヴァボレットのチケット売り場にたたずんでいると、程なくボロ―ニャから荷物を抱えた先生たちが姿を現し、皆でPalazzo Mocenigoに向かった。
展示の飾り付けを終え、レ―ス作業を始めるやいなや、La Paolaが「昨夜は一睡もできなかった」と囁く。
「なぜ?」「わからない」
でも少しも眠そうでない様子に少し安堵する。とにかく83歳の彼女だ。
ときおり邸全体が揺れると、この街が水の上に在ることが思い出される。大運河沿いの大邸宅ほど船の航行の影響を受けやすく、その度に建物が基盤からグラリと揺れる。
かつてここの一族と招かれた貴賓たちが集ったPrima Nobileで、いま交わされる微かな話し声、天井から下がる古びた臙脂色の大裂。17年もの間、冬のこの街に渡り鳥のように通い続けたヨシフ.ブロツキの言葉が浮かぶ。彼が言うよう、これらの裂もいつか解け散り、時間の中に溶け消えていくのだ。私たちが手にする糸も然り。
時に抗わず溶解していく様は美しく、惹かれて止まない。
訪れる人が減り始め、部屋の薄暗さが濃くなった時分にaltra Paolaが私を手招きし、私の夫のことを話し始めた。
彼女の80になる夫も昨秋に大腿部を骨折し、今も不自由な生活を強いられている。だからだろうか、艶やかな銀色のaltra Paolaの髪がすっかり白く細まり、身体もひとまわり小さくなったように見受けられる。
寄り添ってきた存在の不在に直面するのもつらいが、長年の連れ合いが老いていく様に寄り添う日々も、さぞかし苦労が伴うはずだ。
日々は流れていく。この街には夫との思い出がたくさんあってね、と昨日から身体に行き交ってものを言葉した途端、感情がせきあげ狼狽えた。
交わされた言葉を知ってか知らずか、そうした私たちの様子をFrancescaがいつの間にか撮っていた。