スタイリッシュな家の仕様に声をあげ喜んだのは息子の連れ合いたち。4歳と6歳、そこに一番上の孫も加わりベッドの上で跳ね回る光景は、伊豆で過ごした3年前の夏と少しも変らない。成長した子どもたちを見遣る、夫の嬉しそうな眼差しがそこにないだけだ。1歳児は歓声をあげる子たちの周りをウロウロするだけで、一緒に遊んでいる気分になっている。
「僕はここで寝る」
「私もそこで一緒に寝ていい?」
「うん、いいよ」
「夜中にトイレ行くのに、梯子を降りれるの!」
ロフトから顔を出した子と私のやりとりを耳にして、みなに心配されてしまった。
孫たちと一緒でも源泉かけ流しの風呂は、余りある広さだ。私が子供たちと風呂場で遊んでいるあいだ、息子の連れ合いたちは階下にあるベランダの足湯で語らっていたらしい。それ相応の空間だと、それぞれがそれぞれに思いついたことで時間を過ごしている。
今回は、夫と私がやがて散骨される地に、私たちの名を彫刻したのを確認するのが主眼の旅。午前中に都下にある霊園を訪ねた。樹木葬が世間で話題になり始めた頃だった。木々に囲まれたこの地をひと目で気にいった山育ちの夫と、いつかみんながここを詣でることになったら、箱根まで足をのばしゆっくりしてもらえればいいね、と春の心地よい風に吹かれながら会話したのが蘇る。来し方は走馬灯のようにめぐる。