昨年亡くなった友人の長女の方が我が家を訪れてくれた。小学生のころから印象的だった冷静さを湛えた利発な眼差しは、何十年たった今も変らず、それが彼女の人となりなのだと思えた。

 

 

 新婚時期に過ごしたアメリカで料理の腕を磨いた友人は、おどろくほどたくさんのレシピを残していたらしい。もっと料理を教わっていればよかった、といいつつも思い出深いレモンクッキーを作ってきてくれた。

 

 

 

 我が身が被った体験から、それまで働いていた会社を辞め、医療現場での医師と患者のコミュケーションについて学び、現在はそうしたことに関わる仕事に就いている彼女とゆっくり言葉が交わせる機会を、私は心待ちにしていた。夫と私たち家族が体験したこの数年を、彼女の専門知識に照らしたら少し整理できるのではないだろうかと考えたからだ。

 

 言語化できないままの心の澱を彼女は丁寧に汲みあげ、それを明確な言葉で言い表してくれたことが、何よりもありがたかった。

   

 『ソーリーワークス』という興味深い本があることを教えてくれた。

 

 

 

 昼食時から夕方まで、結構長く話しこんだものだから「初めての訪問でこんなに長居をして」という彼女に、「いやいやここに見えてくださる方の多くが、ゆっくりとされて帰られる」と返したが、翌日のメールで「お家の空間づくりも含めて本当に丁寧に暮らしていらっしゃり、、、」といわれ、近しいものを亡くした者同士の会話にも関わらず、彼女がこの家の食卓で安らいでくれたことが嬉しかった。

 

 

 けっして緩やかな日々を送っているわけでもない私の暮しの作法の、何が「丁寧」だと彼女には映ったのだろう。

 

 

 

 先日美味しい洋菓子を親子で自宅販売している知り合いが、山梨からのアンズやスモモを届けてくれた。店で使う材料のお裾分けだ。しばらく前に届けてもらった梅で仕込んだシロップもそろそろ出来上がると伝えたら、もううちでは子供たちがかき氷にかけて喜んでいるという。「梅シロップも紫蘇シロップも、美味しいですよね。子供たちは大好きで」

 

 我が家では赤紫蘇は沖縄から送られてくる新生姜を念頭に、早々と梅酢に漬けた。この紫蘇を干せば孫たちのおにぎりの格好の具材になる。

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 親たちが本心美味しいと感じるものを供しているからだろうか、私の孫とほぼ同年のこの知り合いの子供たちの味覚への率直な反応には、いつも驚かされている。

 

 「この家族は本当に丁寧な暮らしをしているのだなぁ」

 

 思わずそんな声が湧いて出た。

 

 できるだけ生産者のもとに直接足を運び、そこで得た季節折々の食材と知識で食卓を彩るこの親子の暮らしは、確実に親から子、子から孫に伝わっている。

 

 

 

 

 血縁のなかでは苦々しい思いばかりしてきたが、心底共感し得たり知りたいことを教えてもらえるありがたい人間関係がこんなにも豊かなのだから、おそらく私は出会いに恵まれているのだろう。

 

 

 昨日も友人から初めて知る美味しそうな食材が送られてきた。見た瞬間ソバと思ったのは黒ごまを練り込んだうどんだった。車にも乗らず、食材をもとめる旅にも出ずにいても、どこに住むなに人かもわからない不思議な暮らしができている。

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 恵まれた人間関係といえば、針の運びの疑問にいつも快く応えてくれるパオラ先生との出会いがなければ、ここ日本でひとりアエミリア・アルスとも向き合い続けてこられなかった。今年は参加すると決めた現地での講習まで、もうふた月しかない。「今回は教えられるかぎりのことを教える」と先生はおっしゃるが、それに応えるのも容易でないことは、今までの経験から承知している。最期に受けたときから3年が過ぎている。

 

 大鍋で多量のミネストローネを作り、スープパスタ、洋風おじやに変形させ腹を満たした毎日。食のイタリア、美食のボローニャ暮らしとはかけ離れ、針を手にするだけの過ごし方はもうできない。とにかく健康に留意し、レースに集中できるよう準備していきたい。

 

 

 

 沖縄から帰った直後に仕上げたもの(上)(左)になぜか納得できず、再び取り組んでみた図案が昨日仕上がった(下)(右)。並べて見ればたいした差異もなく、なにも2度も向き合うことはなかったような気もする。でもこうした手仕事の手痕には、その時々の心持ちが宿る、まだ最初に取りかかったころの荒々しい心地、いいようもない疲れが糸の並びから透けて見えてくる。それがつらい。やはり丁寧な息づかいの晴れやかな仕事をしたい。

 

 

          
 

 

 
 

 

 

 

 5月末、四国の養蚕農家を取材していた大西暢夫さんの記事に、5令を向かえた蚕のために回転まぶしを設えた、とあった。まぶしのひとつひとつにおさまったお蚕さんたちは、

 

 

  八の字を描きながら絹を吐き出す。うっすらとシルエットになりながら、その姿が白く消えていく。

  この場面は本当に感動的だ。

      お世話してきたお蚕さんとの別れでもある。これから人の暮らしに役立つために旅立っていくのだ。

                       あと少し、もう少し。尊い命だ。  (大西暢夫 5月27日の記事より)

 

 

 

 静謐な孤の営み、できたら私もかくありたい。