近頃は封書や小包を出す用が多く、郵便局に向かう途次に近所を流れる小畦川にかかる橋を渡る。吹き上がる冷たい風にあおられても、川面に映える光は春の色。この橋の前後どちらかから堤を下り、河川敷を往復するのが夫の一番好んだ散歩コースだった。早朝に歩いて運良く餌を捕らえる瞬間のカワセミに遭遇したものならば、息を凝らして見つめたその様子を、大喜びで報告してきた。

 あれは青鷺、あれは鴫と、ふだんは視力が落ちた、落ちたとぼやくのに、野鳥の種別となれば驚くほど目が利くのだから不思議よね、と私は笑った。

 

 

 

 

 とある事典を執筆中、そこに載せる甲冑装備手順のモデルに自らがなったが、30kgもあるのを身につけた長時間の撮影で、本人の疲れは相当なものだった

 
 

 

 国内旅行の出で立ちとさして変らぬ様子で小さなキャリーを引き、私たちは家を出て、夫の入院先に向かった。ふたりして歩いたのは、それが最期。手術翌日の医療過誤から心肺停止をした夫は、蘇生後長い入院生活を強いられることになった。

 

 

 

  2月の連休に入る前夜に妙な胸騒ぎがおさえられず、「連休中に何かがあるかもしれないから、携帯に気をつけて」と、子供たちに連絡をした。

 

 

 胸騒ぎが本当になったということなのか、結局夫は一時帰宅の願いも果たせず、連休の中日の夜に逝った。

 

 

 

 いつの頃からか、食卓の彼の居場所に、バリで見つけた昔は薬入れだったという舟形をした木彫の古物の、舳先を日の昇る方に向けて、快癒を念じていた。水手は私の気づかぬうちに、少しずつ舳先を日の沈む方に舵取りしたのかしら。

 
 

 
 
 
 

 

 庭を世話するのが好きで、机に向かうのに疲れると、例の小畦川散歩に出るか、庭木を剪定したりして硬くなった身体をほぐした。佐渡の山奥育ちだったから、あまり洋花には明るくはなく、どちらかといえば在来の花木を愛でる方が多かった。だからかもしれないが、いまたくさんの洋花に囲まれ笑む夫は、私にはどこかよそよそしく感じられたりもする。