振り返れば30年以上の付き合いだが、歳は私よりふたまわりも下の夫婦が、ここからすぐのところにいま家を普請している。ウィルス騒ぎの資材調達困難で工期が延びたが、年内引き渡しが決まり、最近夫婦は室内の備品選びで慌ただしい。

 

 

 彼らが食卓用の板を地元の銘木やに決めに行くというので、一緒させてもらったのは、その板選びに参加したいというもくろみからではない。

数日前に夫の方が工務店の専務とふたりで板の下見にこの銘木やを訪ねたら、まさにそのとき「神秘の杢」を当てたと店中が歓喜の大騒ぎにわいていたと聞いたからだ。並べられたばかりの、その杢を撮る専務の手も震えたらしい。

 

 

 人のいのちの量をやすやすと越えた杢目のいろいろに囲まれると、自ずから直近の出来事に右往左往するばかりの心地が静まってくるから不思議だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  もともと渋の元であるタンニンを含む柿の樹は、成長しながら地中の様々な物質を吸い上げ、それが元からのタンニンと化学変化し、黒い杢目を出現させることがある。しかしそれは容易な作用ではなく、百数十年以上経た古木に、ごく希に現われるもので、出現率は1万本に1本ともいわれる。

  もう自然界に神様の手の気まぐれが降り立ったとしか思われない、不思議な作用のひとつなのだ。

 

 

 しかも神の手の不思議は、まったく外からは伺い知ることが出来ない。いざ伐り倒し挽いてみて、初めて杢の全容はつかめる。岩手の原木市に出品された柿の古木を、銘木やの社長は実際には出向かず落した。さて届いたその古木を挽いたら、宝が零れ出たという豪気の結果なのだ。

 

 

 黒柿杢の中でも最高ランクのものを、孔雀杢という。黒柿の杢目好きにとって、孔雀杢は宝だ。社長が仕入れにどれほど張ったのか知らないし、この孔雀の出現がどのくらいの価値をもたらすかもわからないが、孔雀羽の流麗な様を間近で愛でる幸運は、稀有な体験だ。

 

 

 

 口に直接当たる食器の類いに、木製のものを好んで使う。熱い汁も木のサジで掬うと、すするまでの一時でほどよいぬくもりになる。黒柿は、若い頃もとめたバターナイフで覚えた。古木のきっしりした質感と柔らかな手触りは倦むことなく、朝の食卓の顔になってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 数きりない店の銘木の中に、最後の江戸木挽き職人といわれた林以一氏の挽いた板があった。実は私の家の食卓も会津の山奥、檜枝岐から着た林氏の挽いた栓なんですよと打ち明けたあたりから、銘木やの社長の口調が滑り出し、問わず語りに木を商う人ならではの体験話が拡がった。

 そこに専務の、妙を得た間の手が絡む。風のない穏やかな冬の夕べのなか、話はますますおもしろく膨らんでいく。

 

 

 

 

 

 

 数十年まえ町の氷川様で、新たな普請があった。

普請するにあたり、どうにも御神木をよけることができないことが判明し、御神木の大欅を倒す決心をした宮司は、引き取りを社長に依頼した。御祓いを済まし、いざ倒す段で傍の境内摂社のひとつ、人麻呂神社の屋根が伐採のはずみで壊れる不安を覚えた社長は、

 

仕方なしに1週間保険に入ったんよ。

 

そこまで配慮し伐ってみたら、なんと大の大人がひとり通れるほどの洞が出た。

 

保険金を支払った上に、洞よ。

いかに御神木といえども、洞があれば木の価値は下がる。

 

専務の間が入る。

 

でも、ここで孔雀を当てたん、でしょ!

 

うん、そうだ。

社長は得心しニヤリとする。

 

何十年の時をまたぐ、いいやりとりだな、と心底惚れ惚れしてくる。

 

まだ話は続いた。

 

さて、この御神木を伐っていた木挽きの手が、はたっ、と止まり、社長が呼び出された。

秩父からきたその木挽きがいうには、2寸先に釘がある。

 

あんた、2寸先にあるものが見えるんかい?

いや、木くずの色が変ったんだよ。

 

木挽きにとって、鋸は命だからね。

ほら、丑の刻参りで釘なんかを打ち込んだ時のことよ。

 

 打ち込まれた釘を巻き込み生きてきた樹を相手にしているからの成り行きだ。

 

 社長は木挽きが2寸先にあるといった釘を避け、新たに線を引き直したそうだ。

 

どのように挽くかは、木挽きの判断ではないのですか?と門外漢の私が口を挟むと

「賃挽きは線を引きません」と、専務はきっぱり応えた。

 

 

 どれだけの長さのものを何枚挽くかは、木を買った者の任であり、賃金で雇われた側は線引きされた通りに引くだけという。

 

 

「賃挽き」という響きが、いかにも職人世界らしく心に残った。

 

 

 投機や相場での損得話とは大違い。商う木と同じ数十年の時空を容易に行き来するふたりの会話の傍で、私の耳も喜んでいた。

 

 

 

 樹から伝わる時間の嵩に惹かれるのだなぁ、と今さらに性分を思い返すと、ひと針ひと針積まれていくレースのステッチにも時の嵩は宿るのではないだろうか、急に天と地をつなげるようなことが思い浮かび、ひとりそこに浸った。

 

 

もしかすると、ずっと時の嵩の手触りを追いかけてきたのかもしれない。

 

そんな気がしないでもない。