毎年冬に2,3回しか出番がないというのに、一向に手放せないウ-ルのタイトスカートがある。
15年前のヴェネツィア暮らしのとき、町中の古着屋で見つけたものだ。大運河に沿ってリアルトから駅に向かう道筋の、左角にあった店だ。当時はいくつもあった古着屋も、4年まえにはすっかり姿を消してしまい、サン·マルコからサン・マウリツォ広場に向かう途中の超高級ブランドのヴィンテージを商う店しか見あたらなかった。
ベンガラ色や深緑にすぐに目がいってしまう。こうした色が目に入ると、無条件で手を出してしまうことが多い。
前開き比翼仕立てのこのタイトスカートも、チロル地方の民族衣装を想わせる少し黄ばんだ深緑で、店の前を通りかかって、古着屋だから雑多な型と色が吊されている中にチラリとこの色が見えたら、吸い寄せられるようにこのスカートを手にしていた。鏡の前でハンガーのまま簡単に合わせ即買うと申し出ると、店の女性はフィッティングもしないで、と驚いた。
いや、私は服を作るから自分のサイズはわかっている。大丈夫と応えるとまた驚かれた。たしか15ユーロあたりだった。
ヴェネツィアで暮らした一年の冬に、その大好きな深緑色の長コートを着た男性の姿を頻繁に見かけるものだから、知り合いのトレヴィ-ゾ出身の女子大生に「男性のコートの、今年の流行りは深緑色なの?」と訊ねると、小首をかしげややしてから、そのコートを着た人たちは年配者、年寄りではなかったのでは?という。
よくよくそのコートを見かけた様子を思い返すと、確かに誰もが60歳は超えた風情の人たちだ。
この女子学生との会話が糸口となり、スイスとオーストリア、イタリアの国境を接するあたり、チロル地方発祥のウールで作られたローデンコートという存在を知った。
私の古着屋で見つけたタイトスカートもローデンウールのローデングリーンだ。どんな長時間座っていてもタイトなのにまったく型崩れしない。
季節の手入れで半日陰干ししたこのスカートにブラシをかけていたら、突然レース教室の、確か火曜日の午後、いつもかなり遅くなってから入ってくる年配女性の姿が眼裏に浮かんだ。
毎回彼女は同じ黒っぽい大きなコートをはおり、中は暖房が効いているというのに、終始そのコートを脱がず、膨れた袖元を縮めるように針を持っていた。うっすら笑うと何本か歯が欠けたままなのが見えた。でもきっと若い頃は、とびっきりの美人だったに違いない。ゆったりした上品なもの言いが特徴的だった。
名前さえ忘れていたから、パオラ先生に彼女の名前を確認する。と同時に年齢も訊ねてみたら、パオラ先生と同年だというので、ひどく驚いた。人の身なりのことで、どうのこうのという訳ではないが、軽やかなダウンコートを纏うパオラ先生と、重そうなコートを引きずるように歩くGraziella グラツィエッラ、そう、それが彼女の名前だ。
グラツィエッラのあの濃いチャコールグレーのコートも、いま思えばローデンウールの質感だった気がする。
元来狩猟用にデザインされたローデンコートを着た男性の後ろ姿が美しいのは、男性用にしてはめずらしいほど裾広がりのAラインだからかもしれない。
『BARに灯がともる頃』というイタリア映画があったが、父親役のマストロヤンニが着ていたのも、時代背景を考えればローデンコートだったかもしれない。マッシモ・トロイージが息子を演じた。
『イル・ポスティーノ』のマリオ役を果たし終えた、その半日後にトロイージは心臓発作で逝った。
季節の服の手入れをする間に、思いもしない方に記憶が流れていく。記憶の帯が途切れないのは、それを遮る他者の声が家内にないからだ。
明日は夫の部屋で半日を過ごす。
アエミリア·アルスも、後は図案から外し布付けだけになったから、完成のおおよそは夫にも伝わるだろう。
『イル・ポスティーノ』は夫と見たはずだ。マリオに同化し茫茫と涙する私の横で、若いころ読んだネルーダの詩に、彼は思いを馳せていた。