いただきものが続くと、我ながら貰い上手だなと感じ入ることがある。

巷には貰い上手と差し上げ上手がいるに違いない。私は貰い上手のくち。

それは単に有形のいただきものというだけではなく、人から教えられた思わぬことで、幾度心の危うさから救われただろうか。貰い上手に加え教えられ上手の、お得な人間だ。

 

 

 

 

 

 沖縄から着たパイナップルとパッションフルーツの荷を解いている最中に、明日来る約束の友人から「これから梅摘みに行くけれど、梅は欲しくない?」と連絡がある。友人が親しくする近所のお茶やさんの広い敷地には、何本もの梅の木があるそうだ。

   3ヶ月前に夫を看取ったばかりのこの友人と、もうひとり共通の友人とで明日に我が家で、和布からベストを作ろうと約束していた。かつて和裁の師範をされていたお母様の遺品に、ベストにすればちょうどよい一反があるからと、梅摘みをするのではないもう片方の提案からまとまった話だ。

 

  まったくハサミが入れられていない反物から、つごう5枚のベストが裁ちだせた。

 

      私たち3人分を作っても残るから、お商売しようか。


   このウィルス禍が収まったらお揃いを着て美味しいものを食べに行こうか。


   いやいや、最近お揃いのバックを提げた同年代組を見かけたけれど、変な感じだった。

   やめ、やめよ。

   ねぇ、そのチャコ、初めて見るのだけれど、

   へぇ、平和チャコというの!!

   箸が転んでもおかしい年頃でもあるまいし、

   私たちはなんでこんなにおかしく笑うのだろうね。

 

 

 喧しい半日だったけれど、ベストのドンデン返しの手順はふたりともしっかりメモしていた。カウントダウンの暮らしに、また服が増えてしまって、どうするの?と顔を見合わせ高笑いするけれど、それぞれが日々の暮らしに生死隣り合わせの時間を抱えてきたのを知ってる。

 

 

 

 

 

 彼女たちが去った夕食前の少しの間に、アエミリア・アルスの外周をひと回りステッチした。豊穣の実りへの祈り。早く仕上げたい。

 

 

 

 

 

  今朝早くに梅を洗った。台所の芳香が私を呼んでいる。さぁ、梅仕事に戻らなくては。