庭のボタンが100も咲いた、と今朝Fb友の記事。



 
 
  夫もボタンの花を愛で、いっときは近隣の神社境内のボタン祭りに毎年通い、今年は何色にしようと思いめぐらして、みごとな花たちを丁寧に見分していました。
 
  花数をたくさんつけるのは好きではなく、入念に剪定し何年しても短い丈を保ち、大きな花を咲かせるよう腐心していました。Fbの記載で庭のボタンたちを思い出し、鍵を預かってくれている友人に様子を訊くと、ちょうど見ごろというので、早めに切り花にして楽しんでとお願いしました。




 
  

  45年前の今日に結婚した私たちは熊野に向かい、10日かけ照手姫と小栗判官の伝説の湯の峰温泉、那智勝浦の補陀落山寺、高野山と熊野古道などを巡り歩きました。夫の説話物への関心事が中心の旅でしたが、私も田辺で川藻を漉き込んだ手漉き紙や、目を見張り頬張らねばならぬ高菜の醤油漬けに包んだ目張りずしとかを見つけては、あちこちふらふら夫の旅を連日かきまわしました。


  高野山の宿坊で案内された部屋の渋金色の大床の間。そこに活けられた見事なボタンの花の、どこか湿った香りの妖しさに、二人して飲み込まれた一瞬の記憶は、何年しても互いに忘れられず、会話する糸口になりました。

  もしかしたら薄暗い宿坊でのあの記憶が、夫のボタン好きを紡ぎ出したのかもしれない。

 
 今朝、病院のスタッフたちから温かな心配りがありました。





  思いもよらぬ展開につぶれそうだった日々でしたが、こんなに視線を絡ませ合うのも初めてかもしれない。一緒に暮らした長きふたりの、ひとつの結びに漂う豊穣の匂いに気づき始めています。