夫の病室で暮らし始め2週間になります。決められた日課がかなり慌ただしく、暮れなずむ空を背景に超高層ビルの点滅が妖しく光るのが見えると、あぁ今日も終るという実感がそこに広がります。




           ときにソドムに見える。

  レースに集中できるような毎日ではありませんが、小刻みにステッチを重ねた成果が見えてきました。手仕事や針仕事の醍醐味は、塵の堆積に似た小さな時の積み重なり、それがいつか美しさに結びつくという想念にあります。

 

 もう少しで外縁の仕上げが終わりそう。アエミリア・アルスでは、短くなったステッチ糸を新しく替えるのに、新旧の糸を交差させるのですが、その位置を予測し手順を考えていかないと仕上げにひびきます。糸替え位置を予め読みながらステッチするのは、目先で図案を追いかけねばならない頃は大変でしたが、少し手慣れてくると仕上げをよりきれいにするには、どこで糸替えすればよいかを考えながらステッチを進める、それが大きな楽しみになるから面白いです。

 

 

 

 

 

   外縁の糸替えの新旧の糸、芯に組み込む糸や前の段で替えた糸の端、それらすべて正しい位置に配さず急いでステッチし始めると、必ず糸と糸が絡みます。糸が置かれるべき位置を念頭にステッチする先生の手先では、まれにしか糸は絡み合いません。

 

 アエミリア・アルス習得のためボローニャに滞在していたある秋、ティントレットの生誕500年記念の展示会があるドゥカーレ宮殿の薄暗い部屋をめぐり歩いた、最後の暗赤色のビロードの布で囲まれた小部屋にヴェロネーゼの『La  Dialettica』はありました。クモの巣を仰ぎ見る美しい娘が目に焼きつき心から去りません。


 瞬時に魅了され、その記憶が身体に刻まれてしまう、そうした出会い。おそらく何度も見たはずでも落としていたヴェロネ-ゼに心打たれたのは、あのとき絡む糸に難儀する私がいたからのはず。

 

 

            

 


 アテネと織りの技を競い、出来上がりのあまりの見事さからアテネの怒りを買ってクモに変身させられたアラクネの物語。アテネはポセイドンとの闘いに勝利しアテネの町の守護神となった自らの物語を織り、アラクネはそのアテネの父ゼウスの好色さを織り上げました。アラクネを描いたものは他にもありますが、神の怒りを被るとこうなるというむごい姿のアラクネばかり。宗教画の範疇にありながら真実を見極めようと必死に頬を染める娘の美しさを描いた作品は、稀有な存在かもしれません。


 展示会では『La Dialettica』とありましたが、『アラクネ』の別名もあります。

 

 DIALETTICAとは弁証法。『La Dialettica』と『アラクネ』。糸の成り立ちから世界の本質を透かし見ようとする娘に惹かれます。