シチリアの地図で、地中海にちょこんと突き出た黒子のようにも見える小さな島オルティージャは、鉄道駅のあるシラクーザの町とは短い橋で結ばれています。島のメインストリートはわずか1kmたらずですが、紀元前からの地中海を越えた文化交流の足跡が点在することから、1年のヴェネツィア暮らしからすっかり神話や世界の叙事詩に魅せられた夫がこの旅を希望したのです。


  河の神アルペイオクに追われた妖精アレトゥーザは、自らの純潔を守るため水となり、地中深く流れ入りました。パピルスの茂みの合間に目を凝らすと、アレトゥーザが変じた水の小さな泡粒が絶え間なく湧き出し泉となってます。その泉の近くで昼食を終えた私たちは、海岸に添う白い道を、パレルモへ移動する翌日に備え、バスの発着所と時刻を確認しようと、シラクーザ駅に向かいゆったりと歩いていました。

 

 

                 

 

       

 

 酷暑を避け、復活祭直後の心地よい時期に地中海のこの島を訪れたのですが、すでに日差しは初夏、海岸も建造物もすべてが白く眩い昼下がりに、私たち以外に往来するものはひとつなく、波の音は青い天空に吸い込まれ、あたかも白昼夢を彷徨うようでした。

 

 

  夢心地ですっかり旅の緊張を解いていた私たちの耳に、突如左手向こうの建物から、勢いよく階段を駆け下りる足音があたりに反響し、思わず夫も私も次の何事かに身構えたその時、足音の主も私たちの姿が視界に入ったようです。

「Si, Viaggiare」

男は歌のひと節かと思わせる張りのある大声を発したかと思うと、すぐさま建物の前に駐車させてあった車にもぐりこみ走り去りました。

 

     「Si Viaggiare」??

     そうだ、旅をするんだ


と叫んだのでしょうか。


viaggiareの鋭いひと言が耳底で何度もこだまし、もしかしたら私たちへのメッセージ?


「Si Viaggiare」がルーチョ・バティスティの歌とは、まったく知らず、というより彼の名さえ知らず、すわっ、災難に遭うかと身構えた緊張が解けると、若くもない異国人の旅への励ましの声だったかしら。そう合点すると物陰ひとつない暑い道を行く歩も弾みます。

 

 

 シチリアの旅を終え、ヴェネツィアに戻るとすぐに訪ねてきた若い友人に、南の小さな島で遭遇した出来事を話すと、「あっ、ルーチョ・バティスティの歌ですよ、それは」と即座に教えられ、ではそのCDは手に入るかしら?と言葉を継げば、ずいぶん古い歌だから入手できるかどうかはわからないとのこと。ふと思えば、40年以上も前に歌われたものを、自分の子供より若い友人とあたりまえのように会話を交わせる不思議。でもこの国の人たちは自国の文化歴史に奇妙に精通し、饒舌に語るのにこちらも慣れていたから、この日も生まれる以前の出来事を詳細に語る彼女の知識に舌を巻きながら、その雄弁さにただ驚くばかり。


 

 借りていたアパートを出てリアルトの橋を渡ると、すぐ左手にあるピザ屋の隣に、ぎっしりとCDが並ぶ店があったのを思い出し、ゆっくりした言葉でも店主が応対してくれそうな時間帯をねらい出向いてみました。痩せ型長身、こなれたジーンズを履く店主の髪には白いものが多く、私より少し年上かもしれません。驚くほど多様なジャンルのなかから求める1枚を探すのはまったく無理な話で、他に客もいない気安さから「Si,Viaggiare」の有無を訊ねたのです。

 あらゆる音楽に精通する職人の風貌漂う店主は、迷うことなく確実な手つきで数枚に編まれたルーチョを棚から引出し、収録された曲の一覧を眼で追うと、ほら、ここに、と示します。



 

 ベトナム戦争直後に若者が陥った閉塞感から、この曲は生まれてね。

 

 私に語るというより、行き詰ったその時代の価値観を共有していただろう彼自身の青春に想い馳せるような面もちの店主。どんな時間を辿り、このような豊かな音楽理解が詰まる店を構えたのでしょう。

 

 

 シチリアの旅が思い出されたのは、先日沖縄の友人が収穫したフィノッキ(フェンネル)を送ってくれたことからでした。白い株は生や揚げて楽み、ふさふさする葉はパスタソースにしようと刻んでいたら、刃先からこぼれる独特の香りに、オルティージャ島でのオレンジのサラダが浮かびました。

 輪切りにしたオレンジに、塩と唐辛子入りのオリーヴ油をかけただけの素朴なひと皿は、細かく刻んだフィノッキの葉の芳香で満ちていました。


 以来新鮮なフィノッキの葉が入れば作ったオレンジのサラダ。この季節には必ず食卓にあったこのサラダを、今年はすっかり失念していました。



 

  食材や料理は私の大切な記憶装置。食卓のひと皿から思いがけない記憶が立ち上がります。オレンジとフィノッキの香りからオルティージャ島での体験が紡ぎ出され、次々にその旅の時間が繋ります。


  びっしり貼られたタイルが見事なカルタジローネの大階段。黄金のモザイクのパラティーナ礼拝堂。パレルモの市場の夕方の魚や肉を焼く匂い。手をのばせばすぐそこで、焼きたての串焼きやふわふわのリコッタチーズが口にできるような馥郁とした気分も、今は独りで見る夢。

  夜遅くまで親の店を手伝っていた、アリーチェというおしゃまさんは、ボーイフレンドと恋を語るような歳のはず。

  時間の彼方に想いを馳せればあったことは 懐かしくもありますが、どこか他人事であった気もしてきます。

 

      

  
  

        

               

 

 ルーチョを聴き、歌詞を追うと心持ちにいま深く寄り添う言葉が散りばめられていたのに今更に気づき、息をのみました。

   

    con coraggio gentilmente     

       gentilmente       dolcemente   

                      viaggiare

 

 

  困難な出来事の渦中にあると、日々の息苦しさから余裕を見失しない、優しさも愛しさも穏やかさも微塵もなく消えていきます。

 

 

  海岸沿いの白く眩しい空間で、旅する私たちを見止めた彼は、一瞬どんな思いを去来させ「SI Viaggiare」とひと声張上げたのでしょう。

 

 姿を見る間もなく走り去った声の主。声つきから想えば青年のはず。そうでなくては勢いよく石階段を駆け下りることもできない。であれば戦争の記憶も背景も遠く過ぎ去った時代を生きる若者の念頭に、「そう、旅をしよう」が、なぜ突いて出てきたの?


 不思議は、不思議のままだった。解かれなかったからこそ、心の標にとふたたび立ち上がってきたのでしょうか。