耳鳴り外来への定期診察と夕方からは夫の病院での医師との面談もあった昨日、冷たい風も昼過ぎには凪いできて、高層ビルの白さと春の日差しが眼に刺さり、これから病院側の見解を聞く身には、残酷な明るさに思えました。

 

  完全に自発呼吸が戻った夫は、寒々しかった最重篤のICU階からわずかに温かみが伝わる空間に移動していました。でもまだそこもICU、集中治療が施される場であることに違いはありません。

 

  先週土曜から眠りが浅く、深夜眼が覚めると音楽を聴いたり雑誌を手にしたりしながら、次の眠気の波が来るのを待つのですが、アポッジョへの準備が終っていたので、明け方からキアーロでバラの花弁、ズメルロで葉を3時間ほどステッチしました。

 複雑そうに見えますが、アエミリア・アルスは4つのステッチだけで構成されています。かぎ針編みでいう細編みに近いプント・ズメルロ、長編み思わせるプント・キアーロ。ほかにはコルドンチーノとグルペット。この4つです。たまにピッピリオーノともいわれるグルペットはピコットのことです。

 2この花弁と葉の少しをステッチしました。



 

 昨秋も今回も、夫はウオークマンと充電器を兼ねたスピーカーを持って入院しました。耳鳴りに意識が集中するその予防に、日中私が使っていた機器です。前回病院で音楽を聴いていて、ずいぶん気が紛れたというので、今回は夫の希望する数曲に中身を入れ替えて渡すと、これで半月は退屈しないと、喜びました。


 体調が急変したものの、まだ会話が交わせた頃、うるさいでしょと、鳴り続く音楽を切ろうとすると、不安になるからそのままにしてくれと、言った夫。言いようもない恐怖と向き合っていたと今更に思い知ります。

 

 そのウオークマンは今も毎日、夫の枕辺に音楽を送ってます。同じ機器を先週自宅用に買い求めました。家でひとり時間を過ごすと、どうしても頭で鳴り続ける音に気が向い、ときには拷問に近い気分にも襲われます。


 夫の耳元にある曲と重なる曲のひとつに、『IL VOLO』があります。タイトルと同じ名前の3少年のグループがグループ結成した10年前、最初にリリースした盤です。最初に彼らの歌声を耳にしたとき、のびやかで深々した声量から、ある程度歳がいった歌い手たちと感じたのですが、CDのジャケットで見たのは、幼さとちょっと小さな悪さをしそうな若い少年たちだったので、驚きながら発売年を確かめたものです。




 

僕たちの歌を、声を聴いてみて!!

ほら、なかなかだろう!!


 

  いかにも自身の得意なことを臆することなく表現するイタリアらしさと突き抜けていくベルカント歌唱に、気分が高揚し口遊んでいると、憂さが消え、明るい心地がこみ上げてきます。

 

 ある日、レース教室で彼らの話をしたら、教室仲間が数日前にイル・ヴォーロのひとりとレストランで偶然居合わせたと、その時の様を撮った動画を見せられました。


 シチリア出身のピエロが、流しのミュージシャンと一緒に歌っている様子。ちょっと慌てた動画ですが。ボローニャに彼らのオフィスはあるようだから、ふだんの彼らも、結構街中で当たり前にあるのかもしれません。




 

 戸締りをして台所に立つ夕暮れ、晴々した彼らの歌と、灯った雪洞を想うハクレンを眼にする小さな合間の堆積が、日々いくつもいくつも重なったその先に、春が往く時節があるのでしょうね。