針仕事 ならば何でもよいのでなく、気持ちを鎮める時には、あまり考えこまずにすむ作業にしようと、アエミリア・アルスの習作づくりにとりかかってましたが、やはり単純過ぎて、飽いてきました。気を変え、昨日からバラのドイリ-の下準備を始めました。

 
 
 ウィルス騒ぎから夫の面会も、病院側の見解を聞く今週金曜日まで叶いません。ひとり暮しの家事に入り用な時間はしれているし、今後何があっても右往左往しない準備は先週までに済ませたので、レースに没入するしかないのも現実。





  ボロ-ニャの教室で最初の年に習ったのが、バラとこの葉の手順。帰国してからメモを頼りに葉の糸運びを復習し始めたら、皆目判らず前に進めない。煌々と薪が燃えるスト-ヴの前にいるのに、どっと冷たい汗が背や腋の下から吹き出すのがわかりました。
 
 
 「何も覚えられていなかった」
 
 
  渾身誠意先生から伝えられたはずの手順が、まったく身についていない。アパートで朝から夕まで糸と針に向き合い、深夜に目が覚めても寝台の中で針を持った最初の3ヶ月。向かいのアパ-トのこども部屋から覗くクリスマスツリ-の点滅に、『マッチ売りの少女』の物語が重なり、人たちの幸せから取り残された心地が湧いてくるのです。

 冷たい雨の日曜は『ラ・ボエ-ム』のミミを想ったと話したジョヴァンニに、「おや、屋根から雨漏りがしたの?」と笑いに誘われ、ずいぶん気分が軽くなったのも懐かしい。ああした3ヶ月を再体験する強さが私にはあるかしら?
 
 
  結局毎秋、渡り鳥のようにボローニャに通い習い覚えたアエミリア・アルスだけれども、今年は行けない。来年もダメかもしれない。

 気分を変えようと、先生から手渡された幾枚ものデザインの上で針運びをイメージすると、針と糸が留まることなく動いていきます。体温が直に感じるほど体を寄せ合い教えてくれたパオラ先生の息づきが、すぐそこにありました。
 
 小さなドイリーにポツポツ細かな針穴をあけ、アポッジョの準備をしています。そこに渡した細い強撚の糸を頼りに、レース糸を織り上げていきます。
 6このバラと36の葉すべてにアポッジョを施し終わるのに、3日はかかるかしら。



 

 舞踏家武原はんの遺品展にあった彼女の写経が思い浮かびました。経文を写す文字の細かな細かな意味が、当時の私には理解できませんでした。



        写真:早稲田演劇博物館所蔵


 
 はんが写経を習い始めたのは、青山二郎と離婚してからだそうです。舞踏家として精進する日々の緊張を緩めるのもまた、極度に集中を要する細字の世界だった意味を、今ならば共有できるような気がします。