天拝山と菅原道真 | 古の里 太宰府の四季と歴史

天拝山と菅原道真

天拝山と菅原道真

 

日本列島も一気に冬将軍の到来で、北海道、東北、北陸は例年にない豪雪となっているようですが、ここ筑紫野路は小春日和が続いています。今回は天拝山と菅原道真公。天拝山(てんぱいざん)には二日市温泉から九州自動車道の下をくぐり、武蔵寺そばの公園から30~40分でハイキング気分で容易に登ることが出来ます。登るルートは幾つかあり、「天神様の径」コースには菅原道真が詠った首の碑が山頂までところどころにあり、首を楽しむことができます。このルートは結構急勾配になっていますが、のんびりコースの別ルートもあります。九州自動車道の下には無料の市営(筑紫野市)の駐車場もあります。天拝山は標高258メートルと低い山ですが、ここら付近では宝満山とともに有名な山です。それは菅原道真が天拝山で自分の無実を天に訴えるため天に祈ったと言う伝説があるからです。菅原道真が901年2月大宰府に左遷され、榎社に半ば幽閉され、2年後59歳で亡くなりますが、902年に菅原道真が自分の無実を、百余日間、武蔵寺境内の「紫藤(しとう)の瀧」にうたれて身を清めた後、天拝山に登り、七日七夜、岩の上に爪立って祈り続けると天から「天満在自在天神」と書かれた尊号がとどいて、願いが成就されたと言います(伝説として)。実際、彼は病弱(脚気、皮膚病、胃弱等)で経済的にも苦しく、且つ流人の身でこのような振舞いは許されなかったと思いますが、そんなに高い山でもないことから一度位は登ってかも知れません?それはさておき、30分足らずの山頂で、天満宮、大宰府政庁、水城、能古島、博多湾まで一望できます。この地に立てば敵の侵攻をつぶさに見ること来ます。軍事的にも重要な地であったに違いません。尚、ローカル的には有名な天拝山ではありますが、歴史的重要性についてはあまり知られていません。室町時代末期(約400年前)までは全山、ススキに覆われ、その後植樹され、現在のような緑豊かな山となったと言われています。


左の石碑には 離家三四月 落涙百千行 万事皆如夢 時々仰彼蒼。道真の哀れな現在の心境を詠ってます。右の碑は有名な「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」の句です。


           天神様コースは結構急勾配の道が続きます。


  のんびりコース。道幅も広く、森林浴を楽しみながら登れます。


途中にこのような首が詠まれています。


                山頂の天拝神社


七日七夜、岩の上で爪立って祈り続けたと言う伝説の地。京に向いている。


宝満山、天満宮方向で、大宰府市、筑紫野市を望む。


四王寺山方向。


 立花山、大野城市方向。


博多湾、能古島、福岡市、春日市方面。30分ほどですばらしい景色を望むことが出来ます。