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修験道の開祖ともいわれる役小角(634年 - 706年)が、近くの大峯山で修行をしていた折、
それを訪ねてきた母・白専女が、この先の谷で大蛇に行く手を阻まれ入山できなかったとのことで、
それがいまに続く「女人禁制」のしきたりの元になったとの話が伝わっています。
白専女は、その谷の岸に庵を作り、里の女性の出産など助けながら、
小角が修行を終えて下山するまで、ここでずっと待っていたとのことです。
http://www.ohagi.com/jisha/syugen/hahakodo.htm

女人禁制区域の境界が現在の「女人結界門」の位置に移る昭和45年まで、ここが、
その境界だったとのこと。大峯山一帯は、いまもツキノワグマが棲息しているそうですが、
明治時代までは、その上さらにニホンオオカミまで棲息していたとのことで、
危険だから「女人禁制」にしていたとも考えられるようです。

ちなみに、こちらのお堂は、管理人の方がいらっしゃる日中のみのオープンですが、
コーヒーやおせんべいで接待いただいたり、いろいろお話していただいたり、
とても良くしていただきました。

       [撮影日:平成22年6月7日]

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