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和歌山城公園近くの県庁前交差点脇に、ブロンズ像が建てられていました。

「享保年間に吉宗が西洋より馬を輸入との史実があり その西洋馬と人物像
(革新的アイディアと積極的行動)の情熱と強い意志を年令40歳位にて想定
 台座は大きな視野で物事を考えた将軍にちなみ丸い部分にて
 広い世界即ち地球を表現いたしました」
というのが台座の説明です。

紀州藩主の息子として生まれながらも、吉宗は四男でした。
本来、後を継ぐことは出来ないはずのところを、兄達がたまたま早くに亡くなったため、
“第五代紀州藩主”というポジションがまわってきたのでした。
さらには、徳川宗家が7代将軍・家継(享年8歳)を以って断絶という事態に、
御三家筆頭の尾張藩でなく紀州藩の吉宗が後継に指名され、第8代の将軍へ。
この像が想定している40歳の吉宗は、すでに紀州にはいなかったのでありました。

      [撮影日:平成21年4月19日]