毎年9月9日・10日の2日間にわたって、地元の神社へ奉納される花火です。
http://www.city.ojiya.niigata.jp/kanko/matsuri/mat04.html

ここ片貝町は新潟県小千谷市に属する約五千人規模の集落なのですが、
その花火を伴う地元神社のおまつりは、江戸時代からの伝統を誇っています。
片貝町民の花火にかける団結力と熱狂ぶりは他に例を見ないほどで、いまでは三尺玉は当然のこと、
世界一大きな四尺玉までもが上がり、全国屈指の花火大会となっています。

ここは普通の花火大会とは事情が違い、「浅原神社」という地元の神社に奉納される花火、
つまり、神様のために花火を打ち上げるなので、人が楽しめるかどうかは最重要事項でないのです。
台風などによって安全上の問題が生じない限り、花火は予定通り決行。
2日間とも雷雨に見舞われた年もありましたけれど、そんなことにはお構いなしに打ち上げでした。

雲上で炸裂する花火の音と、その光に照らされる雲の様子とを手がかりに、心眼を以て花火を観賞…。
“ありえない~”を通り越し、なかなか貴重な経験が出来るかもしれません(笑)

すべては浅原神社への“奉納”という形態を取りますので、それぞれの花火には、
個人やら会社やら町内会やらの“奉納者”が存在していて、
打ち上げのたび、“奉納者”のメッセージが紹介されるのです。
その内容は、祝い事や追善供養など千差万別・・・。
込められた想いと一緒に打ちあがる花火には、感動させられることもしばしばだったりします。

昨年(2005年)の片貝まつりで一番印象に残りましたのは、地元の若者が亡き妹のために捧げたという
一周忌追善供養の花火(スターマイン)です。アナウンスされたメッセージは以下のとおり。。。

「お前が死んでもうすぐ一年。
 あっとゆうまの一年。
 寂しかった一年。
 辛かった一年。
 自分の無力さに涙した一年。
 なさけない兄でごめんね。
 こんなことしかできない。
 みんなで桟敷で待ってるから。」

あとで知ったことですが、これを奉納したお兄さん、まだ若干二十歳という若さだったのです。

―――
その前の年、高校生の妹が白血病で入院中のところ、その兄は“まつり”を存分に楽しみ、
仲間とはしゃいでいました。妹の病気は“治る見込み”だと、病院からは説明されてました。
しかしあろうことか、“まつり”の数日後に妹の容態は急変し、帰らぬ人となってしまったのです。

予期せぬこととはいえ、かけがえのない妹のことを忘れ、自分だけ“まつり”を楽しんでしまった
という深い自責の念。すでに工場へ働きに出ていた兄は、せめてもの償いとして、
1年で稼いだ給料すべて「まつり好きだった妹へ捧げる」と決めたのでした。

成人の節目を迎えた年、本来なら、中学の同窓生達と一緒に“成人祝”の花火を上げるはずでした。
しかし、「自分にそんな資格はない。」として、兄は祝いの花火を辞退。。。
妹への花火一つに心を込めたのでした。

そして迎えた当日、精一杯のメッセージに続いて打ちあがった追悼のスターマイン。。。
豪華な大玉連発・・・という内容でなく、小ぶりのものをいろいろ組み合わせたタイプでしたが、
その裏にあった一連のエピソードを知らずに見ていましても、とても伝わってくるものがありました。
花火を依頼したこのお兄さんに、花火師さん達も精一杯の作品で応えていたように思いました。
―――

1カ月分程度の稼ぎを平気で毎年花火奉納につぎ込む人も珍しくないという片貝。
そんな風習を“浪費”と捉えられ、「あそこへは嫁にやるな」と言われることもある片貝。

でも、まつりの様子を見るにつけ
「出来ることならこの町に生まれて来たかった…。」
と思わしめるほどに、この日、町の方々は充実した顔をされているのです。

そしてまた見に出かけるべく、今年も予定は空けました。。。