本当にこの通りだと思う‼️
「病気なんて無い」って意味じゃないよ。

フェイスブックの記事より

【病気は幻想だ】

ある病気が流行っているとなると、それには何が効くのかという話になるのだけれど、ホメオパシーとか漢方とかの観点から見ると、ある病気に効く薬などというものがあるわけではない。それどころか、ある病気という一つの決まったものがあるわけでもない。

西洋医学で同じ一つの感染症として扱われているものも、実際には人それぞれに異なる原因、異なる経緯で起こっているので、それぞれに何が効果があるかも違う。同じ一つの 治療法ですべてが治せるなどということはないし、同じ一つの病気であるとさえ言えなかったりする。

去年からずっと流行っているというウィルス感染症については、医者によって言うことがまるきり違っているというのが、どうも気になる。ある治療薬が効くとか効かないとかで、去年からずっと争っているのだけれど、ある医者はそれでほとんど副作用もなく治ると言い、ある医者はそれは害があって使えないと言っている。またある医者は、そんなものを使わなくてもインフルエンザみたいに治療したら重症化することもなく治っていくと言っている。

もちろんそこには、製薬利権が深く関わっていて、医者たちはお金をもらって、現実に効果があるなしに関わらず、効果があると言ったり、ないと報告したりしているというのも事実としてある。とりわけ感染症ということになると、予防の注射で巨額のお金が動くので、有効な治療薬があるという話が出てこないようにあらゆる手を使っているのも事実だったりする。

だけど、どうもそればかりとも思えないものがある。それというのも、明らかに製薬利権と関係がないと思われる医者たちも、それぞれに言うことが違っていたりするからだ。それを見ていると、やっぱり意識が現実を作るというのが、ここでも当てはまるのじゃないかと思えてくる。医師たちがどういう意識で患者さんたちを見ているかによって、見えてくるものも大きく変わってくるのかもしれない。

そもそも、今流行っていると言われているウィルス感染症の正体が、どうもはっきりしないのだ。流行の感染症というものは、ほとんどどの症例も同じパターンを示すもので、症例が増えてくるごとに、そのパターンがはっきりとわかってくるのが普通だ。だから、対処法も見えてくる。ところがこの感染症は、1年半以上も経っているのに、ウィルスが本当にあるのかさえはっきりしていない。この病気については、実はそもそもの初めからメディアが作り出したでっち上げに過ぎないのではないかという話もある。実は一つのウィルス感染症があるのではなくて、いろいろな病気の人たちが、まるで一つの同じ病気であるかのように扱われているということなのかもしれない。そんな具合で実態がはっきりしないものだから、人の意識が強く投影するのかもしれない。

まず、このウィルス感染症が恐ろしいものであると思っているかいないかで、医師の対応は大きく違ってくる。去年はタイでは感染症例がほとんどなかったのだけれど、それはタイの医師たちがこれはこれまでのウィルスとあまり変わりがなく、恐ろしいものではないと考えていたからだった。その結果、いちいち検査などもしないし、呼吸器系の患者も不要に不安になったり隔離されたりすることもなかったので、普通に回復していったらしい。

多くの医師たちはこの感染症が特別な恐ろしいものだと思っていて、呼吸器系の症状があって、検査が陽性だとなると、特別な扱いをしなければいけないと思っている。医者が恐ろしい病気を扱っていると思ったら、患者さんの方だって不安になるから、呼吸だって苦しくなる。重症化してしまう患者を扱っていると思って、重症化しないようにとあわてて強い薬を大量に投与してしまって、本当に重症化してしまったという話もある。血中酸素が下がってきたのにあわてて、脳に障害が起こったら大変だと人工呼吸器を挿管してしまい、患者さんがそのまま亡くなってしまったということもあったらしい。まさに、恐ろしい病気だと思っているから、その意識を現実化してしまっているようなことになっている。

そういう状況で、その病気に何が効くとか効かないとかいう話になっている。あるものが効くとか効かないとか言う前に、そもそもその患者さんのそのときの状態に合っていたかどうかということが重要なんじゃないかと思うけれど、そういうことはあまり言われていない。それでだいたい、その薬が効くとか効かないとか、害があるとかないとか、すべて引っくるめての話になっている。

これまでもよく、ある種のキノコが癌に効くとかそういう話が出て、ワッとブームになったりしたことがある。それからしばらくして、やっぱり効かなかったとか、害があったとかいう話が出てきて、何となく立ち消えてしまう。ああいうものをホメオパシーとかの観点から見ると、そもそも一つの薬草がすべてのケースに効くと思っているのが間違っているというのがわかる。患者さんの体質だとか、癌になった状況だとか、そういうものがピタリと合ったときには、驚くような効果がある。だけど、合わなかったら効かない。それだけのことなのだ。言われてみれば当たり前のようなことだと思うのだけれど、そういう議論はなしに、ただ効くとか効かないとか害があるとかないとかの話が一人歩きしているのが事実だ。

意識が現実化するということを言うけれど、それは、病気にならないと信じていれば病気にならないとか、そんな表面的なことではない。病気になる人は、病気になるような状況を自分から引き寄せている背景があるのだけれど、それはその人がどういう物語を生きているのかによる。ホメオパシーとかが効くのは、その人が生きている物語がピタリと合ったときなのだ。

そういう観点で病気というものを見ていると、同じ一つの病気などというものがあるわけではないのがわかる。その人それぞれの物語があり、その文脈の中で病が現れているだけなのだ。それは、自分から薬害を引き寄せたような場合でも同じことだ。その人が生きている物語の中で、害のあるものを身体に入れなければならないような状況ができている。そしてそれは実のところ、その人の意識から来ている。その人が、世界がどういう場所で、自分はどういう存在なのかと認識しているかによるわけなのだ。

西洋医学は、あれやこれやの病気というものがあって、その病気にはどの薬が効く、という風に引っくるめて考えるのだけれど、病気というものをそのように考えていた時代は、実はそれほど長くはない。現代医療というものが生まれたときにそのような考え方が出てきたのだけれど、それは製薬会社の利益と最初から深く関わっていた。病気というものが、人それぞれの物語と関係なく存在するとしたときに、同じ薬を大量に売ることができるからなのだ。そのときから、医学の効果というものが、統計で語られるようになった。一人一人を見るのではなくて、大きな区分で見て、それにある薬が投与されるというやり方が一般的になり、製薬会社が莫大な利益を上げることができるようになったのだ。

この1年半ほどで、医療のそのような闇の構造も表に出てきて、意識が向けられるようになった。ウィルス感染症みたいなものが共同幻想のような形で作り出されることも、私たちは見てきた。それがここにきて、あれやこれやの病気というものがそもそも幻想だったのではないかと思えている。それは本当に実体があるものではなく、薬を売るための概念として存在していただけなのではなかったのかと。

それが今、まるでバベルの塔が砂上の楼閣のようにサラサラと崩れていくのを見ているような気が私にはするのだ。