(意味)大変な悲しみのこと。

                                                                             出典:世説新語

東晋の 桓温 ( かんおん ) は、蜀の地にあった成漢(五胡十六国の1つ)に攻め込み、三峡(長江の上流の渓谷)までやってきました。
そこで、部隊の中に猿の子を捕らえた者がいました。
子を捕らえられた母猿は、岸沿いに哀しげに叫びながら、百里以上もついてきて、ついには船に飛び乗りましたが、途端に息絶えて死んでしまいました。
その母猿の腹を割いて見ると、腸(はらわた)が細々にちぎれていたそうです。
桓温は、これを聞くと怒って、小猿を捕らえた者を罷免してしまいました。