「約束を軽くみる人間は 重みの無い人間である」 銀職人MARO | アーティスト銀MARO「車上生活者から成功者になるまで」

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個展中には私と約束を交わした人々が報告にやってくる

一番多いのは「痩せる(kg)」「運動を初めて継続する」  

あとは「人間関係を改善するための自己啓発」「仕事の目標」「人間力を上げる」等 色々です

最初に私が言う事「私との約束は絶対ですよ。できないなら約束はしないでくださいね。私との関係が壊れるかもしれません 途中でヤメル選択肢はありませんからね」


そうやって「重く強い約束事」を交わすことをし 弱くなってしまった現代人の「意志」を 本来全ての人間が持っている「強い意志」に変換しているのです


今年も多くの方が報告に来てくれました

半分以上の方は「今年は達成できなかったので来年の目標にします」と言って帰ります

その人たちの大半は 私に叱られる前は報告にきませんでした

約束を守れなかったら素直に謝り どこが悪かったのかを自己分析し その分析から 新しい指針を作って報告をする

そして大切な「謝るという儀式」をするのですから 電話やメールではなく 直接会って「謝りの義」を行う

これは本来自然のことなのですが 携帯電話やインターネットという「便利で不便なもの」が普及されている現代では 謝るということを軽視しがちなのです


私は「素直に言葉を吸収できる人 すぐに行動に移せる人 その両方を持った人」限定で ちょっとだけ叱ってあげます

「約束をしたのだから できないのなら謝らなければイケマセン。約束を破るということは 相手の人間を軽くみている証なのです」

私は約束を重んじる人間なので 手帳・日記と共に「約束帳」というものを何年も書いています

忘れたふり・相手は覚えていないだろう・相手は言ってこないだろうから知らないフリをしちゃえと 自分なりの軟弱な人間の解釈をして 約束を社交辞令のようなアヤフヤなものにしてしまう。そんな風潮の世の中。


「俺を軽く見てるんですか?」

私にそう言われた人が沢山います


お金を頂く人にそういう言葉を言う人は 常識では考えられないことでしょう


なぜ私が言えるのか

それはお金も大事だが それよりも大切にしていることは「銀守師として」ということ


私は銀守の対価としてお金を頂いていますが 感覚としてはビジネスではなく 銀守師として 人に力を与えられるお守りを作っています

だから その大切な人たちが忘れてしまっていることや、気付いていないことを伝えるのも銀守師として努めなのです


私に言われて不快感を抱き 去っていくファンの方もいます

売上が下がり利益が減るのですから ビジネスとしてだったら 私はビジネスマン失格でしょう

しかし 良い環境と良い人間をつくっていく銀守師としては正しいのです


銀職人MAROが制作した 魂の銀守は 「誰にでも身に着けて欲しい」というわけではないのです


「私が守りたくない人 私が守れない人」からの注文は現在でもお断りしています

それは人間的基本である「礼儀を重んじない人」です

礼儀ができない人間には 私が頂いている 「神々の力」「大自然の精霊の力」は届かないのです


約束を守れない者の共通点「口数が多い」

それはなぜか?

触れて欲しくない心 触れて欲しくない事 つまり隠したいものが多いほど 人は無意識にそれを多くの言葉で見えないように隠してしまおうという心理が表れるのです

そして「認められたい」という欲求を満たしたいが行動が伴わないものは 言葉だけで 相手を納得させようとするのです


私は色々な人にこの言葉を贈っている

「不安な時は余計な事をしゃべるな。不安な者が吐く言葉は不安定だから 吐けば吐くほど不安になる。不安は改善しなければ 永遠にそのままだ」と


どんなに仕事ができても どんなに社会的地位が高くても どんなに優れた心身を持っていても 私には関係ない

行動が伴っていない者は尊敬に値しない

だから私は人間塾でこの言葉を創った

「行動は真なり」

言葉には裏と表があるが行動に嘘はない

行動はその人間の真実である

  人間塾 兄粋会  会長  銀職人MARO


「今年の事は今年にやっておけ。嫌な事を新年に持ち越せば 嫌な新年になるだろう」

           MARO

 

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