瀬織津姫について | N⦿ZEN ~感 謝~

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さて今回は瀬織津姫についてです

前回のブログで「瀬織津姫」とは役職名であると言うのはご理解して頂けたと思います

今回は少し深堀していきたいと思います

 

瀬織津姫とは六月晦大祓という祝詞に出てくる瀧の瀬にいて人々の罪穢れを流してくれる祓戸大神の一人とされております

 

草場一壽工房より拝借

 

瀬織津姫と同一神とされているのが、

「ミツハノメ」「タカオカミ」「弁財天」「イチキシマヒメ」「アマテラスオオミカミ」(荒魂)「八十禍津日神」です

「ホツマツタエ」では男性神「アマテルシン」の皇后が「瀬織津姫」となっております

 

ここで、「古事記」や「日本書記」に隠されていた理由としては、アマテラス(日向国)がスサノオ(出雲国)に敗北して

アマテラスとスサノオの結婚により和解し

実質スサノオ(出雲国)が国のトップになった情報を封印。後、祭祀王女性トップの情報も封印した為だと思います

 

おさらい

ポイント

1,神々の名前は役職名である、天照大御神や素戔嗚尊も世襲名であり代々受け継がれている。

  地位が上がるほど様々な役職名がある為、呼び名も沢山ある

2,国は統治王と祭祀王の二人1組で治める

3,統治王より祭祀王が上

  アマテラス、スサノオの時代はほとんど女性が祭祀王を務めていた

 

で「アマテラス」と「スサノオ」子供が

宗像三女神

長女:タゴリヒメ(田心姫命)

次女:タギツヒメ(湍津姬/多岐都比売命)

三女:イチキシマヒメ(市杵島姫命)

 

本名はスセリヒメ(三人ではなく一人)

濁音は封印する為後から付けられたと思います たきりひめ(瀧) たきつひめ(瀧) いちきしまひめ(一番偉い女神、本妻の意)

瀧を付けるのは祓戸の意味 役職が上がって「瀬織津姫」(世襲制役職名なので他にもいる)となる

スセリビメは大国主と結婚

子供が「アジスキタカヒコネ」(事代主)(武角身命)と「下照姫」(高照姫)(香用比売カグヨヒメ)

 

出雲を出て、大和に行った「アジスキタカヒコネ」(事代主)(武角身命)がのちの「八咫烏」となり

「ナガスネヒコ」を倒し家来にして大和の支配者になった「ニギハヤヒ」(大年)(大物主)が「下照姫」と結婚し

「高照姫」となり役職名「市杵島姫」となる(͡籠神社の絵馬による)なので「瀬織津姫」となる

下鴨神社、中鴨神社では「下照姫」と「ニギハヤヒ」(大年)(大物主)の子供が

「高倉下」(天香久山命アメノカグヤマノミコト)と「御歳神ミトシノカミ」

 

飛騨一宮水無神社・位山(香久山カグヤマ)のご祭神「御歳神」

社伝では「水無の神」(封印の為)「みなしの神」と呼ばれ「水の主」すなわち「川の神」

みなしとは「水が成る」とも言われ「御歳神」が「水神」であり「瀬織津姫」となる

「御歳神」の本当の名前は「竹取物語」の「かぐや姫」で名前を封印したと思われる

 

「ニギハヤヒ」が病に伏せ、日向族のイワレビコ(神武天皇)との政略結婚に

賛成派「アジスキタカヒコネ」「高倉下」と

反対派「ナガツネヒコ」「御歳神」(かぐや姫)とで大和が割れて、

「ナガツネヒコ」は「御歳神」(かぐや姫)を守る為は東北に逃れた。

東北は元々「ナガツネヒコ」が居た場所でツクヨミの種族だったと思われる

のちの「蝦夷」につながる

 

この辺りが「古事記」「日本書記」で封印されてきた内容だと思います。

 

今回はここまでです「ありがとうございます」「感謝します^^」