9月11日のブログでお知らせしたように
http://ameblo.jp/ginnami2/entry-11611779842.html
現在、私が体験したさまざまな形の「ホスピス緩和ケア」を連載中です
そんなのとんでもない・・知りたくない・・非常識だ・・ と思う方は
以下は読まないでください・・
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6回目は、頭頚部がん Aさんの紹介です
Aさんは、30代の女性の患者さん
特殊なタイプの頭頚部がんと診断
効果が期待できる治療は少ないといわれ
放射線治療を中心に行っていた
肺に多発転移があり、進行していた
副作用の少ない治療を求め当院に来院された
若くて華奢な女性・・
頼りがいのある夫が寄り添っていた
当院の治療を行いながら
元々かかっていた病院と
放射線専門病院の定期的な診察は今まで通り行う
両病院の診察のたびに
「もう手はないから、低容量抗がん剤継続してください」と言われる・・
特殊なタイプの頭頚部がん・・・なかなか効果が出ない・・・
・咳がひどくなり、食欲が落ち、もともと細い身体が、いっそう細くなる・・
・友達と会うと、いろいろ聞かれるから、会わないようにしている
・イメージ療法をおこない、よいイメージをトレーニングをしてるが、悪くなる・・
・「がん」という病気になったことを受け入れられない
・いまだに、朝起きると治っている夢を見る
・そんなはずはない・・
夫は、病気が判明したときに、担当医より難しい病気であること
その後再発したときには、予後も知らされている
「予後」に関しては、妻には話さないでほしいとお願いしてある・・と
それは、当院での治療を開始してからも変わらない
「彼女は精神的に耐えられない・・
悪い話は全て私が聞きます・・」と
呼吸が苦しくなり、在宅酸素を導入した
不安が強くなり、震える声で電話があった
・ネットで自分と同じような方のブログを読んだ
その方は既に亡くなっていた
私もそうなるんですね・・・
・左胸の下に痛みが出た。市販薬を服用した
今までこんなことはなかったのに・・
・息がうまく吸えない。夜中に思い切り息を吸い込むために目を覚ます
心臓がおかしいのかしら?突然死しないかしら?
三好医師に報告し、数日後の診察時に不安を軽減する薬を処方することになった
また、それまでの間は、毎日私宛に電話をもらうことにした・・
・体重が減る・・どうしよう
・夫が仕事に行き、帰るまでの間がとても長い・・
・誰かが自宅に入るのは嫌
・自分の親には病気を隠している・・・頼るのは夫だけ・・
時には、天気の話や世間話だけの時もあった
・誰かと話をすると孤独から開放される気がする・・
でも友達とは話したくない・・かわいそうって言われそう・・
さらに呼吸状態は悪化し、「最期をどうするか・・」という相談を夫とした
夫は、入院させたい・・そのほうが本人も安心だと思う・・
でも、「ホスピス」や「緩和ケア病棟」だと、本人がショックだから駄目
「悪い話は本人にしないでほしい」 と一貫している
酸素を増やしても、呼吸は楽にならない・・
ゴールデンウィークが近づく・・
そして、時期が来た
ゴールデンウィーク前に入院しようということで
総合病院の中で「緩和」をおこなっているG先生に相談した
「本人にはシビアな話はせず、夫に全てを話してほしい」とお願いした
色々な家族のあり方を見てきているG先生は、受け入れOKしてくれた
入院前、当院での最後の治療・・
スタッフ皆でAさんを送り出した
「ゴールデンウィークの間入院して
体力戻して帰ってきてね
」
「入院したらよくなると思うから待っててね~~
」とAさん
入院先のG先生は心得たもので
「入院して楽になったら、また銀座にいこう!!」と
Aさんを迎え入れてくれた・・
連休明け数日後、夫より電話が入った
「お世話になりました。○日に旅立ちました。
G先生のおかげで苦しまずに、穏やかな顔でした・・・
これで良かったと思っています
本当にありがとうございました・・」 と
若い方の最期は本当に辛い・・
自殺してしまうんじゃないか・・と思う一瞬もあった
事実をそのまま伝えるだけでなく
時には、全員が役者になることも必要であることを
考えさせられた症例である