9月11日のブログでお知らせしたように
http://ameblo.jp/ginnami2/entry-11611779842.html
現在、私が体験したさまざまな形の「ホスピス緩和ケア」を連載中です
そんなのとんでもない・・知りたくない・・非常識だ・・ と思う方は
以下は読まないでください・・
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5回目は、50代の乳がん Tさんの紹介です
Tさんは、サバイバーの患者さん
乳がんと診断され、手術を勧められたが拒否し
代替療法をおこなっていた
3年後、多発肺転移による呼吸苦出現し
入退院を繰り返す
翌年、いよいよ苦しくなり緩和病棟に入院
医師より余命宣告され
医療麻薬で意識朦朧とする中
「家族に手紙を書きましょう」と言われて、夫と息子宛に遺言を書いたと
個室だったので、夫が病室で
「がんに効く」というお茶を煮出して飲ませてくれた
お茶を飲むと、何となく良い感じがして
気が付いたら、緩和病棟を退院していた
退院したものの、酸素は手放せず、1日中自宅で横になっている状態・・
当院の前身、キャンサーフリートピア土屋医師に相談
すぐに治療開始(低用量抗がん剤)となった
治療初回日、点滴が終わった瞬間に、呼吸が楽になり
普通に息が吸えるようになり、その日から酸素が要らなくなった
その後も、土屋医師のもとで治療を行い
効果が良く出て、抗がん剤治療卒業となった
それから数年後、突然息切れの症状が出現
肺に水が溜まり、入院治療となった・・
退院後から、当院の治療に切り替わった
不思議な感覚の持ち主で
・「抗がん剤が入るのがわかる」
・点滴中に「この薬は合ってるのがわかる」
「これは違う・・」などと発言
・「治療後5日~7日くらい経過すると
抗がん剤が切れた、薬切れ感がある」と
凄いのは、その自覚が、実際の効果と合っている
銀座に通院すること2年・・
せっかくだから銀座でお稽古がしたいと
野菜ソムリエのスクールに通った・・
当院はスクールと目と鼻の先・・
スクールの日時に合わせ、当院の治療が決まる・・
時には、「試験があり、猛勉強しなくちゃいけないから
来週の治療は休みます」と・・
三好医師は、もちろん
「OK~~ 試験がんばってね」と
以前習ったというブリザーブドフラワーも趣味として復活させ
季節毎にすてきにアレンジし、持ってきてくれる・・
穏やかな2年が過ぎたころ、再び呼吸が苦しくなった
在宅酸素を導入した
医療麻薬を導入した
コントロールはつかなくなった
通院が出来なくなった・・
当院と、Tさんの住むところは100kmも離れている
最期をどうするか話し合いとなった・・
Tさんは、「以前緩和病棟に入院したときに
とても嫌な記憶しかない・・あそこに入ると
医療麻薬でトロトロにされ、いろいろ強要される・・
自宅に居たい」と言う
夫は「本人がそういうなら、出来る限り自宅で過ごさせたい」と
東京から、100km先の訪問診療医を探した
1件目に問い合わせをすると
「自分のところは手が回らないが、他に良い医師がいます」と
他のDrを紹介してくれた・・
○○先生の紹介で・・と2件目の医師に電話をすると
すぐに引き受けてくれた
訪問看護師の導入も決まった
Tさんには時間的な余裕がなくなっていた
それから数週間後、夫よりメールがはいった
今朝、急に苦しくなり病院に行きたいというので
訪問の先生に相談し、救急車で病院に来た
以前入院した病院に着いた
その時の緩和の先生が来て「私が診る」と言って
緩和病棟に入った
お別れまでもう少しです・・
今まで大変お世話になりました
その翌日再び夫よりメール
6年前に入院していた緩和病棟にて
さきほど旅立ちました
担当医より、緩和病棟を退院したのは
後にも先にもTさん1人だけだったと聞かされました
妻は強運の持ち主で・・
これもひとえに、友人はじめ皆様のおかげです
本当にありがとうございました
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私とTさんの付き合いは4年間・・
とてもポジティブなTさん
そのおおもとは
「ほら、わたし1度死んでるでしょ・・本当なら・・
そしたら今はなかったんだから」
確かに・・
世の中には予測が裏切られることがある
説明のつかないこともある
Tさんを通し、多くを学んだ