前回お知らせしたように
http://ameblo.jp/ginnami2/entry-11611779842.html
今回より、私が体験したさまざまな形の「ホスピス緩和ケア」を連載します
そんなのとんでもない・・知りたくない・・非常識だ・・ と思う方は
以下を読まないでください・・
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Kさんは50代前半・乳がん・1人暮らしの方・・
以前は会社を経営していたと言い
確固たる自分を持っていました
標準治療に違和感を覚え
その後はあらゆる代替療法を行い
状態悪化し、呼吸が苦しくなり、当院に相談にみえました
当院のメインの治療である、低用量抗がん剤治療も希望せず、
呼吸苦に対しての吸入・ステロイド点滴・医療用麻薬の処方
栄養点滴、メンタルサポートなどを行っていました
ある日、「呼吸苦が悪化し、自宅ではもう無理なので
○○大学に入院します。今までありがとうございました。」と
電話が入りました
そして
「良かったら遊びに来てください」と・・
その病院は「がん哲学外来」を開設し、大学病院にしては柔軟で
緩和ケアチームもしっかりしているという評判・・
三好Drと患者さんを訪ねることにしました
病院で患者さんの名前を伝えると、
最上部の特別室です
患者さんの許可がないと入室できません
患者さんからOKが出たのでどうぞ・・と
その後も幾重かのセキュリティーを通過し、Kさんの病室に到着・・
まるで海外のリゾートホテルのような部屋
その真ん中にベッドがあり
酸素をしたKさんが座っている
ベッドの周りには昔からのお友達という、セレブな男女が4~5人・・
昔話で盛り上がっていた
私たちも加わり、話をしている中
看護師が出入りし、医師も回診に・・
看護師のテキパキさと聡明さに、三好Drは好印象・・
医師(女医)がベッサイドで膝を折った姿勢で目線を合わせて話をしている姿に
私は好印象・・
その後、友人達が帰り、Kさん・三好Dr・私の3人になった・・
Kさんは
ここは、1泊7万と高いけど、緩和ケアチームが頻回に来てくれ
担当医の説明もわかりやすいし
体調が良ければ外出しても良いと言ってくれてるし
病気は良くならないけど、まあ、安心かな・・
広い部屋だから、友達も泊まれるし・・
先生からは1~2か月と言われたけど
実際はどのくらい生きられるんだろう・・などと話す
そして、自分の最期をこの病院にしたのは正解だった・・と
安心した顔が見えた・・
それから数週間後、私の携帯にKさんからメールが入りだした
(三好Drと私の携帯は、緊急時連絡用に患者さんに伝えてある)
数回のショートメールの後に、ショートメールは文字数が限られて
伝えたいことが使えきれないので、普通のアドレスを教えてほしいと
メールが入った・・・教えた
するとメールが入った
気持ちが落ち着かない、不安で押しつぶされそうだ・・という内容の
長いメール
そのメールの最後に、岡田さんと話がしたい・・
無理を承知でお願いする、病院に来てもらえませんかと
三好Drに相談し、病院に向かった
前回から約1ヶ月の再会・・
Kさんはすがるような眼で私を迎え入れた
外出許可をもらいながら、身辺整理をしてきた
自宅、銀行・・・介護タクシーで回った
全部1人でしてきた
友達は何でも手伝うと言ってくれるけど、そもそも元気な友達が
私の気持ちを理解できるわけがない
みんなは元気で変わらないのに私だけが変わった
みんなと一緒に居ても私だけ違う
この病院の人たちは、私の元気な姿を知らない
今の状態になった私しか知らない
その人たちが、チームで毎日来てくれても
手を握ってくれても、本当の私を知らないくせに・・と思う
だから本音を話せない
友達にも、ここの病院の人にも本音を話せない・・苦しい・・
だから岡田さんに来てほしかった
少し元気なころの私を知っているから・・
5リットルの酸素を吸い、咳込み、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら
次から次へと話す・・
私はベッドサイドの椅子に座り、ただひたすら話を聴く・・
咳き込みがひどければ背中をさすり
訴えで手が震えれば、手を握る
長い時間が過ぎたような気がした・・
Kさんは、忙しい中来ていただいてありがとうと微笑む
その後1度メールが入ったきり、連絡が途絶えた
自分の最期を1人でやり切って去ったKさん
本当は誰かに頼りたかったんじゃないか・・
甘えたかったんじゃないか・・
私が病室に入った時に見た「すがるような眼」は
お母さん助けて・・という幼子の眼だった
立派な緩和チームでも
満たすことのできない「根底」がある