梅雨が明け、猛暑の連日・・
ふと「A」さんを思い出しました
Aさんは、乳がん歴10数年
地元のテニスサークルの会長を務める60代の
サバイバー患者さん
そして
自身の生き方に「確固たる信念」を持っている方でした
大学病院で抗がん剤治療を行っていたが
副作用で日常生活に支障が出たため
自分から、「点滴の抗がん剤はもうやりません
飲み薬の抗がん剤に変えてください」と申し出
処方された飲み薬の抗がん剤を自己責任で減量
その後、当院治療を希望され来院
Aさんが治療開始時に話された言葉は
「もう自分としては十分なのですが
テニスの会長の任期が△月、その後に出たい大会が○月
ダブルスでペアの人が私でないと絶対出ないというので
2人の最後の試合にしたいんです・・
なので○月までなんとか、今の状態を保ちたいんです
○月までで良いんです・・」と
当院での治療がスタートしました
Aさんは、テニスサークルの活動が週数回
その他、役員会や諸団体との会議・打ち合わせなどがあり
誘われるので仕方なくゴルフも行く(結構上手い)
夜の飲み会も好きなので・・ということで
Aさんの治療間隔は、
「Aさんの多忙なスケジュールの隙間をぬって
1~2週間の中でお好きにどうぞ」と三好Dr
それから数か月、多忙なスケジュールをこなしながら
不定期に治療に来られ、まず△月が到来
Aさんがサークルメンバーに
「私は乳がんでもうすぐ死ぬので
テニスサークルの会長を全う、退任する」と話をしたら
日焼けした元気そうにみえる、今までと変わらない姿のAさんに
「たぶんまだ死なないと思うし、仮に具合が悪くなっても
座って見守ってくれるだけでいいから会長職でいてほしい」という声が多くでた
でも、全うできない仕事は受けないポリシーなのでお断りしてきた・・
1つの大役が終わりほっとした
あとは○月の試合を残すだけ・・と
それまで順調だったAさんが呼吸苦を訴えてきた
突然胸水が溜まりだしてきた
○月の試合に合わせ、胸水を抜いたり、通院間隔を短くしたりと
全てが○月○日の試合に向けてカウントダウン・・
弱音を吐くと、ダブルスの相手が
「ラケット持って立っててくれるだけで良い
いざとなったら全部のボール私が拾いますから」なんていうのよ・・と
そして
「苦しくて今日はダメかな・・と思っても
コートに立つと動けるの、苦しいのを忘れちゃうの・・本能かしら」と
私たちも心配した○月○日が何とか無事に過ぎ
「ダブルス解散し、私の代わりに娘と組んでもらうことになった」と
安堵した表情になったAさん
その後病状は徐々に進行していった
ある通院日に
「もう私は十分生きたし、後悔のない治療もして来たので
今日で治療終わりにします。お世話になりました
あとは自宅で過ごし、最期は予約している病院に行きます」とサヨナラ宣言
突然ではあったけれど
Aさんなら、自分の生き方(死に方)を自分で決めるから、そうなんだ・・・と
妙に納得した「サヨナラ宣言」であった
それから数週間後、Aさんが突然やってきた
「かっこ悪いんですが、やっぱりもう少し治療してもらえませんか?」と
「公正証書も作り、娘や姉弟に遺言も残し、荷物も整理処分し
会いたい人にも会った。やることみんなやったら
やることもなくなったし、まだ入院する必要もないし・・
通院治療再開しようかな・・と思って」と照れ笑い
私たちも嬉しいのか悲しいのかわからないけど
皆で大笑い・・
それから1~2ヶ月の治療の後、
「呼吸が苦しくなり楽になりたい、来週から入院します・・
何日くらいで楽になりますかね?」と電話・・
入院当日、当院に立ち寄り
皆にあいさつをして出発したAさん
出発間際に茶目っ気たっぷりに私にこういった
「来週クリニックは夏休みですよね
私一人で逝っちゃいますから」
クリニックの夏休み明け初日、ポストを開けると
Aさんが入院した病院からお手紙が届いていた
「8月☆日Aさんが鬼籍に入られました」と・・
「Aさんの言葉とおり、夏休み中に逝っちゃったんですね?」
そう問うにもAさんはもうこの世には居ない
あの8月も、昨今のような猛暑であった・・・