心の準備が出来ていたようで…
何も出来ていなかったようで…
まだ、本当の意味では気持ちが整理出来てない…
のかも知れない…
なんだか、それすらもよくわからない…
8月5日
遠く…遠く…
父が旅立ちました。
30年にも及ぶ、長い長い闘病生活でした。
30年前脳梗塞で倒れ、右半身がきかなくなりました。
優しすぎる母は
「私があなたの手となり足となる」と言って、
辛いリハビリをあまりさせませんでした。
なので、45歳と若かった父ですが、
右手はほとんど回復せず、右足は器具を装着して
なんとか歩ける・・・という程度での生活となりました。
その後、障害者施設で仕事をしながら
元気に生活をしていましたが
59歳の時、母を看取った2ヶ月後に腎臓ガンに…。
右の腎臓を摘出しました。
それからは透析が始まり、母がいなくなってしまった
ショックもあり、体調が芳しくない日が続きました。
この頃の父は本当に荒れていて、
毎日毎日暴言をあびせられたなぁ~
病院に入院しても暴れるのでベッドに縛られたり…
しばらくして、透析が一日おきになると
送り迎えも厳しいし、病院の先生、ケースワーカーさんに
透析患者専門の施設への入所を勧められました。
その後、胃がん、肺がんを患いながらも
施設に入所して15年近く…
いつのまにか一番の古株になっていました。
「感謝」というものを人に出来ない父でしたから、
晩年はお見舞いの人もめっきり減り
寂しかっただろうな・・・
本当にたくさんたくさんぶつかった父でした。
父が亡くなっても涙は出ないんじゃないかと
思ったりもしました。
・・・でも、やはり寂しいですね
もうわがままを言わないんだなぁ~と思うと
なんだかとってもさみしいです
でもきっと、今頃大好きな母と逢っているかな。
母は待ちくたびれていただろうな。
また、母と仲良く過ごしてね。
ありがとう
そして、もう一つ
父の告別式の日に
辛いメールが届きました。
こちらもなかなか整理することが出来ずにいます。
嵐さんが遠く遠く感じられます
最後の国立・・・
この目で見送りたかったです。