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NOMONEYFULLPAIN

this is my shit...



若い死ほど、
悔しい出来事は無い。
俺達は命を授かる瞬間、
「生」を与えられ、
「死」を約束される。
当たり前だけど、俺にはまだ実感は無い。
去年の9月の中頃まではそう思ってた。


JYANGOとの出会いは良く覚えている。
初めて会った瞬間に分かった事、

「こいつは黒人になりたいんだな」

案の定、的中した。
すごくお洒落な男で、優しく強い芯を持っている。
そして、最高にハッピーな大馬鹿野郎だ。
きっと、近くにいる先輩達は格好良くて、馬鹿な不良ばかりだろう。
周りの奴らの話しを聞いて見ると、彼女もかなり出来た娘らしい。

あの時、
誰も、
誰一人、
アイツが死ぬなんて考えて無かった。


去年SPERMと二人でMETHODMOTELに遊びに来た。
YUKさんのリリパで、ISPも出演してた。
俺はその頃、金銭的にかなり厳しい生活を送っていた。
(まあ、今もさほど変わらないんだけど)
名古屋に遊びに行く機会なんて激減していた。
久々の名古屋で、地元の仲間と久々に再会。
本当に楽しかった。本当に。

次の日、二人を連れて鈴鹿へ。
JYANGOは念願のKICKBACKに来れて幸せだっただろうか。
少なくとも、俺は連れて来れて良かったと思ってる。
その後、KOKINSTUDIOへ行き、KOKINさんも久々の再会を喜んでたな。
KOKINさんの粋な計らいで、RECをしてもらえる事になり、
あの曲が出来た。
完全にノリだが、大好きな曲だ。
必死にリリックを書く二人の姿は忘れられない。


そして次の日、
「9月1日も絶対来ます」
「年末、あの曲をLIVEでやろう」

と約束をして宮崎へ帰った。

それから1ヶ月後くらいだったか、
ISPとの電話でJYANGOが入院した事を聞いた。
ショックだったが、心配はしなかった。
きっとすぐ回復すると思ってたから。

さらに1ヶ月後くらいだったか、
ISPとの電話でJYANGOの病気は思っていたよりも重病らしいと聞いた。
さすがに心配した。
でも大丈夫。だってアイツはJYANGOだぜ。

それから1ヶ月、
さらに1ヶ月と時間は経ち、
9月1日のSANDCASTLEでは再会出来なかった。
すごく悔しかっただろう、
いや、それすら考える余裕も無かったかもしれない。

その時も俺は、

大丈夫。だってアイツはJYANGOだぜ。
必ず復活して、年末にREAL-Dで一緒にあの曲を演るんだ。

9月26日、
JYANGOは死んだ。

でも、
JYANGOは負けてねえ。

これを運命と呼ぶ事は、侮辱に値すると思う。
本当に最後の最後まで良く戦った。天晴れだ。
付き合いはそんなに長くはない、
でも、兄弟のように愛してる。

なんの因果か知らないが、
友人や大切な人を亡くす事を数回体験してきた。
いつになっても、何回目でも悔しい、悲しいしか感じ無かった。
しかし、JYANGOの死には、先の二つに加えていくつか感じた事がある。

尊敬や、誇りや、何よりも愛を。

宮崎の仲間だけじゃない、
JYANGOに関わった全ての人が感じていて欲しい。

9月26日、
JYANGOは死んだ。

俺達は泣いた。恥ずかしげも無く。
悪い夢ならもうとっくに覚めてるはずだ。
誰かの悪戯にしては長すぎる。
どうやら、死神はいるらしい。
そうじゃなきゃ、早すぎるんだよ。

でもな、
忘れないで欲しい。
JYANGOは負けてねえ。

「ヨースケさーん、俺もうちぇなわんすわー」

じゃんねえ、とりあえず今は好きなだけ寝ちょけよ。
KO-1がオーセンに呼んでくれたらまたみんなで起こしてやっが。
BCも来るかもよー。楽しみにしょけよ。

気付いたら2013年や。
俺ももっとやらないかんね。

それじゃ、またね。
JYANGO、また逢おうやね。



で、
なぜ、今頃になってJYANGOの事を書いたかと言うと、
時間が経っても、生きている時と変わらず俺達の近くに居る気がするからだ。
不特定多数に向けて、この媒体を用いて、
JYANGOの事を知らない貴方に、わざわざ教える必要はなかった。
でも、貴方にJYANGOのラップを聴いて欲しいと思ったんだ。

さあ、トップに貼り付けた当たり障りの無い、
小気味の良い音楽を止めてくれ。


JYANGOのバースは、2バース目。

今度の旅はかなり長いぞ、
J・Y・A・N・GO!!!!!!!!