私はひどく愛想のない子どもだった。

道で知り合いに出会っても
「こんにちは」と声に出すのは
大変なプレッシャーだった。
おつかいでお店に入って
売り場に誰も居なかった時の恐怖。
田舎の店はどこも、店舗兼自宅なので
私のか細い声など
奥の居間に届いたためしはなく、
誰か出てきてくれるまで
お店の隅で佇んでいた。

子どもらしくない、暗い、笑顔がない
親戚に心配されていた。
子どもらしいって何?余計なお世話だ
と心の中で憤慨していたが、黙っていた。

マルナカ商店は家のななめ前にあった。
里で唯一の八百屋&魚屋さん。
住民は皆ここに買い物に来ていた。
レジ打ちは奥さんのゆきおばちゃん。

深緑色の幌車は
りゅうおっちゃんのトレードマーク。
早朝、まだ暗い時間から
新鮮食材を仕入れに町に出かけていた。
家の前を通る、幌車のエンジン音は、
夢うつつに心地よかった。

私は、家から徒歩5秒のマルナカに、
しょっちゅうおつかいに行かされた。

「……にんじんください。」

爆笑「人参っ?ちっさいのしかないなァ。
えーわ、もうそれ持ってけ持ってけ!」

声の大きな人だった。
他にお客がいてもおかまいなしで、
よくタダで売り物の野菜やらをくれた。
黒い長靴に前掛け、腕まくりで、
りゅうおっちゃんは
店の裏手で魚をさばく。
どんな魚もあっという間に
美しい刺身になった。
その手際の良い仕事を、幼い頃の私は
よく隣にしゃがんで
黙ってじっと見つめていた。
たまに、

爆笑「ホレっ、食え。」

と、刺身のはし切れを
猫に与えるように私にくれた。

母は刺身が食べられないが
私は生魚に抵抗がないのは
りゅうおっちゃんのおかげだ。

体も心も太っ腹。
龍の名にふさわしく、男気があった。
誰に対しても分け隔てなく、
地域の人から頼りにされていた。

ぶっきらぼうで優しい。
私はりゅうおっちゃんが大好きだった。


ゆきおばちゃんへ 

りゅうおっちゃんが星になったと
母から聞きました。
祖母が亡くなった時さえ
こんなに泣かなかったのに、
りゅうおっちゃんに、
もう会えないと思うと涙が止まりません。

りゅうおっちゃんは、
毎年クリスマスに苺の生クリームケーキを
ホールで私に持ってきてくれました。
田舎ではケーキなんて手に入らないから
私は本当は
飛び上がるほど嬉しかったのです。
でも極度の人見知りのせいで、
私は恐る恐るそのケーキを受け取って、
蚊の鳴くような声で、
「ありがとう」
と言うのが精一杯でした。
何と愛想のない子だと思っていたはずです。

父親の顔を知らず、
クリスマスに母にも会えない私を
不憫に思い、毎年サンタクロースのように
ケーキを届けてくれていたのですね。

クリスマスケーキをありがとう。
本当に、本当に、嬉しかった。
子どもらしい屈託のない笑顔で
ありがとうを伝えられなくてごめんなさい。
と、りゅうおっちゃんにお伝え下さい。


山奥で足を滑らせて転落。
重症で病院に運ばれたが、
回復しなかった。
ゆきおばちゃんが
私のために植えてくれているもちなんば畑
りゅうおっちゃんが最後に通った山道に続く。

「ここで農作業していたら、
ふいにおとーちゃんを思い出して
泣けてくる時あるんやで。」

と、ゆきおばちゃん。

亡くなる前、りゅうおっちゃんは
ゆきおばちゃんに

「ごめんよ。」

と謝ったそう。

ばーちゃんが逝った数ヵ月後だった。

その年の初盆には
家の前と、りゅうおっちゃんの家の前に
二人を送るろうそくが連なり
美しく輝いていた。